Fly Up! 148

モドル | ススム | モクジ
 適度に出た汗は武の体を柔らかくする。試合が開始されたことでフロア内は温度、湿度共に徐々に上がってきていた。基礎打ちを止めて自分達の出番を待つために壁に寄りかかっていても汗がじんわりと肌を塗らしていく。

「暑くなってきたな」
「ああ」

 隣で同じように壁に寄りかかっている吉田も、その後の言葉が続かない。曖昧な感覚ではあるが、武は吉田が緊張しているように思えた。

(いつもは俺が緊張して吉田に肩の力を抜かれるんだけどな)

 一つ、息を吐く。自分には力が入っているかと腕を回したり首を曲げたりするなど確認していくが、特に緊張に固くなっているというところはなかった。出番を間近にして緊張の針が振り切れたせいかもしれないと思うと、頬が緩んだ。

(さてっと)

 一度緩ませて、意識の糸をきつく張る。
 視界にはコート内で駆け回る四人の選手。めまぐるしく代わる攻守。低い弾道で行きかうシャトル。シングルスにはないスピード感がダブルスの持ち味であり魅力だと武は思う。シングルスと同じシャトル回しではコート内に二人いるダブルスは超えられない。低く低くシャトルを打っていくことで相手に隙を生ませ、そこに決め球を叩き込むことがダブルス。戦略の他に、より速さを求められる。

(やっぱり速いよな)

 自然と体が動き始める。目の前にあるコートでの試合を見ながら、その動きについていけるかと手や足を動かし、自分の反応を確認する。

「ふっ……ふっ……」

 短く息を吐きつつ、少し右足を出しては戻るという反復動作を繰り返す。武はイメージの中でシャトルを追いかけ、スマッシュを叩きつける。それを相手が拾えば、吉田がネット前に詰めてプッシュで押し込む。ちょうど目の前の試合も、それでラリーが終了していた。

「良いイメージ持ってるみたいだな」

 武の動きが落ち着いたところを見計らって吉田が声をかけた。ラケットバッグからラケットを取り出し、武から少し離れて素振りを始める。その動きは滑らかで、先ほど武が感じた緊張は見えない。

「初めての全道だからなー。昨日までは何となく気負ってたけど、実際に始まろうとしてたら逆に落ち着いたよ」
「試合が始まったらまた違うかもしれない。こうだって決めずに緊張したらしたでって考えたら良いよ」
「サンキュ」

 いつも通りの助言に武は笑う。
 吉田はいつも通り。先ほど感じられた不安らしきものは消えている。それは武が見ていた幻か、あるいは本当にあったが一瞬で消え去ったのか。
 どちらにせよ、もうすぐやってくる試合には問題がない。武は目の前を向いて試合観戦を再開する。自分の気合を高めるために。
 そして。

『試合のコールをします。浅葉中、吉田君、相沢君。第三コートにお入りください』

 アナウンスが響く。自分達に続けて相手の中学と名前も告げられた。パンフレットでも見たが、西村達の地区の三位だ。

「第一シードとか、西村達とやる前の前哨戦ってところかな」
「油断しないでいこう」

 吉田と武は一斉に歩き出す。徐々に足は早まって、コートに付く頃には小走りになっていた。自然と体が疼いていたのだろう。ラケットバッグを置いてラケットを取り出すと、一気に着ていたジャージの上下を脱ぐ。
 ユニフォーム姿になって軽く足を動かすとまるで羽のように軽いと武は感じる。

(本当に今日は体が軽いな……逆に不安かも)

 いつものようなスマッシュを打てるのかよく分からなくなる。

「香介。スマッシュ打たせて!」

 自然と試合モードに入り、吉田の名前を呼ぶ。吉田もその変化はすぐに気づいてOKサインを出すとシャトルを高く上げた。
 シャトルに狙いを定め、リズムに乗って思い切り飛ぶ。

「はっ!」

 まだ肩が温まっていないため、力は七割程度のジャンピングスマッシュ。
 シャトルは鋭く、角度を持って吉田の前に落ちていた。バックハンドで取る姿勢でいた吉田だったが、動けずに見逃していた。

「速いわ。試合もこの調子で頼む」
「お、おう」

 吉田はシャトルを拾って再び打ち上げる。武も同じようにジャンピングスマッシュを放った。今度は綺麗に打ち返され、連続してジャンプして打っていく。右肩が温まるのを見計らい、力を込めていくと音も速度も飛躍的に上がった。今までの自分のイメージよりもワンランク上の音。

(うし、行ける!)

 相手のペアが来たところで最後に思い切り打ち込むと、吉田のラケットフレームに当たり、シャトルが弾かれた。そしてそのまま吉田の隣にいた相手ペアの一人に当たる。

「あ、すみません」

 武と吉田が同時に謝るが、相手は二人に向けて怒気をはらんだ視線を向けた。急な敵意に動くことが出来なくなった二人に相手は呟く。

「絶対に勝つからな」

 隠すことのない敵意に武は理由が分からない。自分達は何か気に障ることをしたかと考えても思い浮かばなかった。直接会うのも初めてであり、今のシャトルの件でそこまで怒りを覚えられるとは考えられない。

「武、気にするな」

 もうすぐ試合を始めるという段階で、吉田は武の傍へとやってくる。それに乗じて相手に聞こえないように呟いた。これ以上関わるとやっかいなことになりそうだという二の句に武も落ち着いた。コートの片側に二人で固まると、相手ももう一方のコートにまとまる。二人とも、武と吉田へと向ける視線は黒い。そこまでの理由とはなんなのか。

「試合を始めます」

 審判の合図にネット前に歩いていき、握手をする。視線の鋭さから強く握られるかと警戒したが、何事もなく背を向けられた。そのギャップにどうしたらいいか分からずに武は下がった。
 吉田と相手のファーストサーバーがじゃんけんをして、サーブ権を勝ち取る。その間ももう一方は武に向けて鋭く視線を向けてくる。武もさすがにうんざりしていった。

(なんか、もうどうでもいいな)

 最初は驚いたが、ここまで憎まれるような視線を受け続けると思考が麻痺してくるのか。気になって仕方がなかった視線が急に気にならなくなる。相手はただそこにいるバドミントンプレイヤー。ネットを挟んで、相対する好敵手。

「オンマイライト、吉田・相沢。浅葉中。オンマイレフト、竹原・杉本。高菜中。フィフティーンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 四人が同時に声をあげ、各々の構えを取る。武は吉田の後ろで腰を低くし、サーブのサインを見た。ショートサーブのサインを確認すると左側に動けるように重心を少しだけ左寄りにする。その瞬間、吉田がサーブでシャトルをネット前に飛ばした。

「だっ!」

 おそらく竹原と呼ばれた選手がプッシュでシャトルをストレートに落とす。胸元へと向かってきたシャトルを、武はバックハンドでロブを返す。ドライブ気味に狙えば前につめた竹原がインターセプトすると一瞬で読む。
 サイドに広がったところで、今度は杉本がスマッシュを放った。それもまた武の胸元。同じようにロブで返し、また杉本が武目掛けてスマッシュを放つ。序盤から明らかに武を狙って打っていく。

(吉田のレシーブ力を見切ってる?)

 単純なレシーブ力ならば吉田よりも武のほうが劣っている。武もそう簡単にはミスをしないが、連続して攻撃された時にはどうなるか分からない。それを狙っての行動だろうか。

(どうにかして抜け出さないと)

 今のところ、吉田が一人宙に浮いている。相手ダブルスと武の三人で試合をしているようだった。

「はっ!」

 何度目かのスマッシュをバックハンドで打ち返した際、少しだけロブが浅くなった。しまった、と武が思うのと竹原がスマッシュを打ち込むのは同時。前方に叩き込まれたシャトルに武は反応出来ない。だが、シャトルは吉田に拾われて相手コートに返っていた。ネット前ぎりぎりのヘアピンとして。前につめていた杉本がクロスヘアピンで吉田を揺さぶるが、それに体勢を崩さずについていき、プッシュでシャトルをコートへ縫いつけた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 吉田のファインプレイに武は安堵して声をかける。

「ナイスショット」
「おう。この調子でいこう」

 吉田の言葉は頼もしい。全道大会という大きな舞台が一瞬で地区大会と同じ雰囲気に変化する。
 吉田のショートサーブに対して今度は杉本がヘアピンで勝負を挑んでいた。ネット前で数度、シャトルが行きかい、結果ロブを上げたのは杉本。吉田の背後でシャトルを待っていた武は、シャトルに向かい思い切り飛ぶ。

「はあっ!」

 ジャンプの最高到達点で捉えられるシャトル。
 より鋭く深く突き進んだそれは、更に速さも加えて竹原と杉本の間に落ちていた。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「しゃ!」

 左拳を腰に引き込んで力を込める。気合が体中に広がっていくような感覚。頭が冴えて相手の隙が見えてきているのは、調子が良い証拠だ。

(よし。十分いける)
「油断するなよ、武」

 浮きかけた気分が吉田に引き寄せられた。武には見えない何かが吉田には見えているのだろうか。それとも単に油断を警戒しているのか。

「まだ相手は様子見段階だ。これで俺達がどういう役割か見えてきてるだろう」

 最初の五点は相手の実力を確認することに使う。セオリー通りのことをしているに過ぎない。

「分かった」

 武は一度息をついて心を落ち着かせる。
 吉田の三度目のショートサーブ。レシーバーの竹原は武のいる場所へとロブを上げた。普通ならば相手のいない場所に打つというのに。あからさまな誘い。ドロップで間をはずすことも考えたが、まだ序盤。相手の長髪を真正面から打ち砕くのも悪くない。

「はっ!」

 ジャンピングスマッシュではなく、普通のスマッシュ。それでもシャトルは勢い良く相手ペアの中央を抉っていく。かすかに反応が遅れたのか、シャトルは甲高い音を立てて真上に飛び、そのまま落ちていった。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」
「しゃ!」

 スマッシュの切れも申し分ない。油断はしないが、このまま押し切れると判断した武は吉田のサーブを待つ。
 しかし吉田はシャトルの羽部分を丁寧に直しながら間を取っているようだった。

(吉田……)

 武からすれば少しテンポが悪くなる。武の調子の良さを分からない吉田ではないはず。ならば、今、間を置いていることには何か意味があるはずだった。

(そうだ。ゲームメイクは吉田に任せる。俺は、シャトルを決める。あいつを、信じろ)

 一瞬だけ浮かんだ不信感を消し去る。昨日今日組んだわけではない。三年という中学でのバドミントンの中で、もう少しで三分の一まで行こうとしているパートナー。互いのことは分かっているはずだ。武は吉田の。吉田は武の気質や調子を把握する。その上で、ダブルスの試合は展開する。
 ようやく吉田はシャトルを直し、サーブの姿勢を取った。後ろ手でロングサーブと武に伝える。それに反応して後ろ目に構えないように注意しつつ、サーブの時を待つ。

(集中、集中)

 心の中で言い聞かせるたびに、一つずつ意識が深く沈んでいく。周りの声援。シャトルが弾かれる音が消えていき、相手の息遣いまで聞こえるような錯覚に陥る。シャトルが吉田の手から放たれた瞬間に横に広がると、すぐさまスマッシュが胸元へと伸びてきた。

「おら!」

 咄嗟にバックハンドで返すとシャトルがネット前に落ちる。前につめていた杉本がプッシュで武の横を抜くが、素早く後ろに回りこんでいた吉田がロブを上げていた。

「武! まずはじっくり一本だ! 焦るなよ!」
「お、おう!」

 男子ダブルス一回戦。
 まだ、武の試合は序盤戦に差し掛かったばかりだった。
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