Ｆｌｙ　Ｕｐ！　１３６

（いよいよかぁ）

　武から放たれるシャトルを打ち返しながら、杉田は自分の対戦相手を盗み見た。全く知らない顔。プログラムを見た際は釧路の中学だということが分かったが、釧路など物心ついてから今までで一度も行ったことがないため、どんな土地なのかも想像できない。今回来たのが初めてだった。
　普段ならば絶対交わることがない相手と今、杉田は邂逅しているのだ。そう考えると不思議な気持ちになる。

（きっとめちゃくちゃ強いんだろうな）

　そう考えてすぐに否定する。何しろ一回勝てば第一シードに当たる。そういう選手は市内ならば大体格下だ。頑張って一回勝っても次には強い者のかませ犬となる。

（なら、俺と同じくらいか。変わらん変わらん）

　自分が実績がなく、弱い部類だと言うのは分かっている。だからこその位置づけだと納得していた。プライドに縛られていた頃を思い出すと、思わず笑みがこぼれる。

（なんか、成長したってこういうことか）

　武がコートか出ていくところで初めて時間が来たことに気づく。相手もネットの中央にやってきて杉田が近づくのを待っているようだった。

「よろしくお願いします！」

　一度声を張り上げてから前に早足で進み、すでにネットの下に手を通していた相手へと笑いかけた。

「よろしく！」

　しっかりと手を握る。自分の中にある思いは伝わるか？　と尋ねるように。
　相手は答えるようにぐっと握り返してくる。顔には自信。少なくとも、杉田には負けないと心の声が伝わってくるようだった。

（少なくともっていうのは俺の想像なんだろうけどな）

　じゃんけんをしてサーブ権を得る。サービスライン前に構えて、シャトルを打ち上げれば試合は開始される。すでに周りのコートでは開始されていたのを見て、杉田は一度息を吐く。自分のペースを思い出す。

「フィフティーンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ」
『お願いします！』

　相手と同時に叫び、すぐさまシャトルを打ち上げる。シャトルはシングルスコートを大きく飛び出して、別コートの後ろのラインに届くか届かないかの位置に着地した。

「サービスオーバー。ラブオール（０対０）」

　相手はもちろん、審判までもあまりの暴投に一瞬カウントを忘れた。それでも杉田には予定通り。

（よし、これで良い）

　杉田は思い切り打って肩に入っていた力が抜けるのを確認した。本来ならば大事なはずの試合第一撃目。それを犠牲にする価値はあったと杉田は思う。
　サービスオーバーになり、相手側にサーブ権が移っても杉田は自然体で構える。わざわざ自分で渡しておいて動揺していても仕方がないと自分を落ち着かせると、すぐにシャトルに反応した。相手はショートサーブを打ち杉田の体勢を崩そうとしたのだろう。しかし、ロブを深く上げて杉田は中央に戻っていた。今度は大暴投ではなく、ぎりぎり後ろのラインを狙ったもの。
　相手も慌ててシャトルを追いかけて打ち返す。だが、不十分な体勢から放たれたシャトルは杉田の絶好のスマッシュポジションに落ちていく。

「まずは！　一発目！」

　宣言しての一撃。渾身の力を込めてスマッシュを打つためにラケットをフルスイングし――直前で完全に静止させる。するとシャトルは衝突直後の威力のままにふわりとネット前に落ちていく。

「うおお！」

　前に突進してシャトルを掬い上げる相手だったが、杉田の側に打ち返すのがやっと。杉田はそのままスマッシュでシャトルを沈めようとしたが、一瞬頭に過ぎった感覚を信じてコート奥へ打ち返していた。

「うおおおあ！」

　シャトルを追いかける相手選手。結局追いつけずにシャトルはコートに着いていた。再びシャトルが杉田のところに戻る。

（なん、だ？）

　自分の中に生まれた違和感。返されてきたシャトルを手にとって先ほど感じた悪寒はなんなのかと思いを馳せる。
　悪寒。
　そう言葉が浮かんだ時に初めて、その感覚がなんだったのかを知った。

（そうだ。嫌な予感がした。あそこでスマッシュを打ったら、打ち返される気がしたんだ）

　相手は前でシャトルを取り、体も沈んでいる。本来ならばスマッシュを打ち込めば取れるはずもなかった。だが、杉田の浅い経験からでもそこに何か危険なものがあると判断したのだろう。

「ストップ」

　声に気づいて前を向けば、自分をじっくりと見ている相手の姿。名前はなんだったかと思いだす前に相手は後ろを振り向き、ゼッケンが現れた。

（釧路の……宮島、か）

　開催地の中学生。プログラムを思い出してみれば、おそらく自分と同い年だったはずだ。おそらく三位で、自分と同じような実力だと勝手に思っていたのだと知り、杉田は顔を叩いた。

（これで少しは落ち着くかな）

　冷静に相手の実力を見ること。その上で戦略を考える。
　相手の実力を過小評価せずに考えると、レシーブ力はありそうだ。実際、杉田がコートぎりぎりを狙って打ったシャトルに対しても追いつき、打ち返してきた。最初の暴投が功を奏してかバランスを崩させたが、次からはそうはいかないだろう。すぐに慣れて打開策を見出してくるに違いない。

（先手先手、だな）

　杉田がサーブの姿勢を整えると宮島も構えてくる。ショートサーブを打とうと考えるが、すぐに思いなおしてロングサーブに切り替えた。シャトルはコート奥に飛び、宮島が追いかける。

（少しでも甘くしたら駄目だ。確かに一番弱いかもしれない。でも、こいつは地区三位の弱さ、なんだ）

　シャトルに追いついた宮島はスマッシュともドライブとも取れるショットで杉田の右側を抉り取る。予想外の速さに杉田は一歩下がってドライブで反対側へと打ち返した。
　だが、その軌道上にはすでに宮島のラケットがあった。対角線に打った杉田に有効な、直線の痛打。半ばプッシュの状態でシャトルが打ち込まれる。

「させるか！」

　杉田は振り切ったラケットの勢いを体にも伝えて移動する。慣性の法則に逆らわずに移動すると、宮島から打ち出されたシャトルが捉えられる位置にラケット面がある。だが、あまり強くは打ち返せない。

（体勢が悪い……なら！）

　ネット前に落としたなら前につめている宮島に取られるだろう。ならばと杉田は中途半端にロブを打ち上げた。まだ次の手を取れる可能性が高いほうを選ぶ。
　シャトルは多少宮島を追い抜いたが、後ろにジャンプしながらスマッシュを叩き込んできた。方向は杉田の胸部。強引にラケット面を胸の位置に持ってきて小さく打ち返す。するとシャトルはヘアピンとなり、宮島もヘアピンで落とし返すしかない。
　そこは杉田が待っていた展開。またロブを上げて体勢を立て直す。宮島は追っていき、またスマッシュ。今度は杉田のバックハンド側。
　それを、杉田は読んでいた。

「ここだ！」

　宮島がしたように軌道のインターセプト。宮島と異なるのは強打ではなく、ヘアピンで落とすだけ。ネットぎりぎりを通って落ちていくシャトルにはさすがに宮島も触ることが出来なかった。

「ポイント、ワンラブ（１対０）」

　審判の声に杉田は内心微笑んだ。

（これが全道初得点、か）

　地区大会のときと変わらない感触がそこにあった。

（そうだ。全道だからって変わらない。ただ）

　再びシャトルを手に取りサーブ姿勢を取る。宮島も杉田の力量を少しずつ感じてきたのか、その顔を険しくしていた。逆にその顔を見て杉田は笑う。少しだけこっけいに思えたからだ。

（いつ負けても、文句は言われないっていうのは俺に取っちゃ気楽だよ！）

　シャトルを思い切り高く打ち上げる。滞空時間の長さは今までよりも多い。タイミングをずらされたのか宮島の次のハイクリアには力が入りきっていなかった。

「おら！」

　それを予想していた杉田にとっては絶好球。追撃のスマッシュをクロスに打ち込むが、宮島の守備範囲内なのか楽々と打ち返される。余裕を持っていたために前へ落とされると杉田も分が悪い。
　ロブを上げて体勢を立て直そうとしたが、そこにはすでに宮島のラケットがあった。

「なに！？」

　悲鳴と同時にシャトルの着弾。
　ロブで打ち上げた瞬間のシャトルを完璧に捕らえられたのだ。

「サービスオーバー。ラブワン（０対１）」

　急激な一撃に少し動きを止めていた杉田だが、気を取り直してシャトルを拾う。返してからレシーブ位置に歩く間にも頭はフル回転して今の流れを反芻する。

（さっきもそうだけど、あいつは反射速度が異常に速いな）

　自分にとってというだけで、それ以上がいるかもしれないがと言いなおす。だが今のところは、自分よりも反射速度が上の相手に対してどう立ち向かっていくかということ。自分のシャトルを打つスピードでは相手のラケットの届く範囲は超えられない可能性が高い。一番初めに感じた悪寒も、スマッシュを打っていればラケットで絡め取られて逆にやられる可能性を感じたからだろう。

（なら、他の弱点を探すしかないな）

　宮島からのサーブ。またしてもショート。今なら、杉田にもその理由が分かる。
　ショートからの対応は前に落とすか、ロブを上げるかの二パターンしかない。大抵はロブを上げるのだろうが、それを叩き落すだけの力を宮島は持っている。別に落とせなくても普通通り追えば良いためリスクは少ない。逆に相手は隙を突こうとドライブ気味のロブは上げられない。山なりの高いロブを上げなければいけないというプレッシャーは真綿を締めるようにじわじわとやってくる。

（武器があるっていうのは、いいことだよなっ！）

　杉田はドライブ気味のロブを打っていた。
　宮島は狙いをつけてラケットを振り下ろす。しかし、それに対して杉田はラケットを振り上げていた。シャトルは両者の間を行きかい、宮島の後方に飛んでいく。流石に慌ててシャトルを追う宮島の背中を見ながら、杉田はほくそ笑んだ。

（こういうギャンブルが成功すると強いぜ！）

　ハイクリアに対して杉田はスマッシュで宮島の胸部を狙う。セオリー通りの一撃は簡単にバックハンドで返されるが、杉田は見越していて早めのタッチでヘアピンを落とした。上がるシャトルを途中でインターセプトしてスマッシュを叩き落し――

「はっ！」

　ピンボールのようにシャトルが跳ねる。杉田は咄嗟に後ろに下がってシャトルの落下点に入った。さっきとは逆のパターン。同じ轍は踏まないとドリブンクリアで少しでも宮島の体勢を崩そうとする。だが下に入る速度が速く、簡単にスマッシュを杉田の左側へと放ってきた。バックハンドでストレートに返しても、そこには既にラケットがあり、今度は逆サイドに飛ばされる。徐々に宮島のショットに翻弄される割合が増えていく。それでも杉田は点だけは取られまいと拾い続ける。

（今は我慢だ。必ず隙はある！）

　両サイドに振られながらもシャトルに喰らい付く杉田。だが、宮島は一瞬で前に落としていく。それさえも拾った杉田だが、シャトルが浮いた瞬間に叩かれていた。

（一筋縄ではいかないな……やっぱり）

　フットワークもある。シャトルを見極める反射神経も、ラケットワークも。
　それでも、自分と同じ三位だと思い、杉田は顔を左右に振った。

（同じ三位、じゃない。単純にその地区で三位だっただけだ。実力の差がないわけがない。なんたって）

　その先は、口に出ていた。

「初心者だからな、俺は」

　その声が聞こえていたかどうかは杉田には分からない。だが、宮島の顔がかすかに歪んだのを杉田は見逃さなかった。

（負けてもいいっていうのは、ほんと気楽でいい）

　そして、気楽だからといって負けるわけにはいかないのだ。

「ストップ！」

　シャトルを打つ瞬間に被せて叫ぶ杉田。動揺を誘うなどということはしない。単純に気迫で打ち返すという気持ちの表れ。
　ロングサーブで飛んできたシャトルを、ストレートに渾身の力を込めて叩き込んだ。