Fly Up! 134

モドル | ススム | モクジ
 坊主刈りにした頭を軽く下げてから、橘海人は笑顔を向けてくる。さっぱりとした外見は爽やかで、武も思わず頭を下げた。

「久しぶり……やっぱり、出てきてたんだな」
「先輩達もくると思ってましたよ。全地区大会で言った言葉、覚えてます?」

 勿論、と武は首を縦に振る。
 先輩である金田と笠井。二人と試合を終えた橘兄弟は武と吉田に力を求めた。
 今度対戦する機会があるならば、金田と笠井を超える試合をしたいと。ようやくその機会を得られたのかと武は胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じる。
 そんな二人の空気に、岩代が割り込んだ。

「確か、北地区代表の橘兄弟の一人だっけ」
「ん? えーと」

 海人は岩代を見ながら頭を捻る。自分の記憶の中に顔があるかと思い起こすも、結局諦めたのか首を振った。

「すみません。覚えがないんで」
「ああ、南地区のダブルス代表の岩代だよ。こいつらには負けたけど」

 相沢のほうに顔を向けて言う岩代。しかし、その時点で海人は岩代への興味をなくしていたようだ。武に再度頭を下げてから一言添えた。

「明日から当たるの、楽しみにしてますよ」

 武達から離れて菓子のコーナーに向かう海人の背中を見ながら、岩代は呟いた。

「完全に、俺のこと無視だったな」
「丁寧だなとは思ったけど、やっぱり同じか」

 初めて会った時とのギャップに驚いていた武だったが、やはり年上ということは関係ない態度に逆に安心する。
 双子の兄も表向き礼儀正しいが、弟と同じく実力がある相手しか認めない。
 岩代も全地区大会には出場したが、特に海人の印象に残ることもなかったのだろう。それよりも、自分達を苦しめた金田達の後輩であり、団体戦で唯一勝った武達を覚えていた。

「あいつらと当たったら、忘れられないようにしてやる」
「……率直に言うと、なかなか忘れられないことにされるかも」
「確かに強かったもんな。金田さん達との団体戦や個人戦で見てたし。正直、俺もそう簡単に勝てるとは思ってない」
(でも勝つつもりだよな)

 この場に安西がいれば、おそらく直接本人に言っていただろう。武達の地区は北高南低である状況で、岩代もライバル視していたに違いなかった。

「とりあえず、飲み物でも買って出るか。試合は明日からだし」

 そう言う武自体が、すでに臨戦態勢に入りそうだった。

「まあまあ。そんなに熱くならなくても」

 背後から唐突に声をかけられて、武と岩代は振り向いた。先ほどまでは確実にいなかった人影が、今、二人を見下ろしている。いつの間に後ろにつかれたのか全く気配を感じなかった。

(なんだろ。そしてめっちゃでかい)

 中学生離れした体格。見覚えのない顔。正確には、頭の片隅にどこかで見かけたと思っていた。その程度の曖昧さ。
 それでも武が、自分に関係ある男だと分かったのは、背負っていたラケットバッグだった。バドミントンのラケット。武が使っているものと同じ。
 そして、ジャージの胸に描かれている中学の名前。

(旭川の広槻中……)

 それは西村がいる中学。そして、他の地域のプレイヤーのことをほとんど知らない武が唯一吉田から聞いていた、中学生離れした体格のシングルスプレイヤー。
 いくつかのキーワードが一つに連なる。

「広槻中の淺川(あさかわ)……亮」
「お、俺は有名人ってか? まー確かに」
「そりゃ。去年のジュニア大会で全国優勝した人が有名じゃないとか言ったら、なぁ」
「中学レベルだけどな」

 淺川亮。一年にして昨年のジュニア全国大会に出場。優勝をさらった男。これからのバドミントン界を背負うかもしれないと言われている人材。実際、中学二年になってからも中体連全国大会ではベスト4に入っていた。

「そんな有名人が俺らに何の用?」

 岩代の言葉に淺川は「そうだそうだ」と気を取り直す。

「いや。浅葉中の相沢と吉田っていうのは要注意だってうちの西村が言ってたんでな。どんなやつらかなーと。別にバドミントンしていない時に見ても同じ中学生なんだけど」
「そっちは……随分ご立派な体格で」
「良く食べて良く鍛える。これ健康の秘訣」
(鍛えすぎ)

 武は心の中でそう呟き、岩代を見た。同時に武に視線を向けてきた頃からも岩代も同じように思ったのだろうと感じる。どうして自分が相沢武だと分かったのか尋ねると、淺川は答えた。

「いや、外に西村いるしな」
「えっ!?」

 窓ガラスの先に、手を振っている西村が見えた。その隣には見たことが無い男。西村と同じくらいの身長で、童顔のその男は淺川と武達のやり取りを見ながら笑っていた。

(あれが……西村のパートナー)

 自分達の地区の第一シードを破り、優勝したという西村。全道でもシード権を持っていたそのペアを倒したことで、西村達がその席に座るのだろう。この全道で対決が可能なのか。

「あいつが『凄く、試合したい』と言ってたのが相沢吉田ペアなんだよ。少ないけど写真付きで説明されてな。今の実力は良く分からんが、あいつらと戦えると良いな」

 西村を見ると、一度大きく武に手を振ってからパートナーと窓から離れた。歩く先には武達のホテル。まさか一緒になるのかと武は思ったが、その前を通り過ぎて奥へと消えていった。一緒ではないが、この近くにホテルは密集している。少し行動すれば会えそうだった。

「じゃあ俺も行くよ。あんたらと試合することはないだろうけど、そっちのシングルス代表とやることはあるだろうから、よろしく言っておいて」

 淺川はそう言って、西村と同じように一度大きく手を振ってからコンビニを出て行った。それを見届けたところで武と岩代は大きく息を吐く。気づけばコンビニに二十分ほどいる。集合時間にももう少しで遅れそうだった。

「とんだ休憩だったな」
「むしろ疲れたよ」

 岩代の言葉に返答する武。事実、全国にも通用するような実力を持つプレイヤーに立て続けに声をかけられたのだ。緊張もする。

「相沢も大変だよな。俺らはお前達を倒せなかったから、雑魚扱いされても仕方が無いが」
「雑魚だなんて」
「だから。俺と安西はここで一気に名を上げればいい」

 岩代から発せられる闘志が武には心地よい。やる気になっている男の傍にいると自分もまた感化されるようだった。武が吉田に感じたこと。岩代も今、武から感じているのかもしれない。

「俺らは初めて全道大会なんてものに出てるんだ。あいつらは多分常連だろうし、知られてないのも当たり前。でも、明日明後日頑張れば……」
「皆に知ってもらえる。でも、生半可な頑張りじゃ駄目だな」

 武にも岩代にもその先は分かっていた。一回戦や二回戦を勝ったからといって全道に知られるようにはならない。そうなるには、代価が必要だ。

「あいつら、シード選手を倒すくらいじゃないとな」
「ダブルスならきっと西村達に当たる。どっちかはそれで名を売るかもな」

 二人で目標が定まったところで、ジャージズボンのポケットに入れておいた携帯が震えた。慌てて取り出すと吉田からの電話。出た瞬間に、怒鳴り声が響いた。

「もう集合時間五分前だぞ! どこ行ってるんだ!」
「す、すまん!」

 無駄な会話はせずに電話を切り、武と岩代は慌ててコンビニから出ていた。


 * * *


 ミーティングに滑り込んだ武と岩代は一度怒られたがそれ以上に咎めはなく、明日の予定を庄司から聞かされた。
 朝九時から体育館で開会式。
 一日目は男女シングルスのベスト8まで。二日目は男女ダブルスのベスト8。三日目は男女シングルス、ダブルスの優勝決定戦までという日程だった。武にとっての初戦は二日目からとなる。
 それまでは直前の打ち合いの相手をしたり、場合によってはラインズマンをすることになるだろう。プログラムは当日配られるために、まだ自分達がどこにいるのかは分からなかった。それでもベスト4以外はランダムに割り振られているはずだった。

「今日はこれで終わり、明日から始まるが。これだけは覚えていて欲しい」

 庄司は皆に注目させてから一度言葉を切る。端的に自分の考えを言うための言葉をまとめているのだろう。そしてそれは数秒で終わった。

「明日から相手にするのは、同じバドミントンプレイヤーだ。けして違う人種だとかそういうものじゃない。あえて違いを上げるならば、自分よりも努力している者か、同じだけ努力した者か、していない者ということだ」

 庄司は武達を見回して、自分の言葉が浸透するのを待った。そして、最後に付け加える。

「お前達がやってきたことが、試合に出る。だから、いつも通りを心がけろ。それが一番難しいとは分かっているが」
「バドミントンは、考えた者が勝つ、ですよね」

 武が綴った言葉に庄司は頷く。その通り、と呟いてミーティングの解散を命じた。時刻は夜八時。これから風呂と就寝まで暇となる。

「まずは風呂か」
「そうだなー、どうしよ? 入る?」
「先に入ったほうがめんどくさくないかも」
「言えてる」

 安西を筆頭に岩代、川瀬、須永ら明光中の面々が言葉を紡ぎ、部屋から去っていった。続いて女子が早坂も含めて皆で出て行く。会話からすると安西達と同じく風呂だろう。
 残ったのは庄司と武、吉田。

「お前らも風呂に入ってさっさと休め。明日からは疲れたとか寝不足が許されないからな」
「さすがに今から風呂入ったら九時とかに寝ないとって感じが」
「それは寝られないな」

 相沢と吉田は笑いあい、安西達の後で入ると伝えると庄司と共に部屋から出た。三人は各自の部屋に戻る。武はベッドに横たわり、天井を見ながら昼間を思い出していた。
 吉田からたまに見せてもらっていたバドミントン専門雑誌でたまに目にしていた名前。北海道の実力分布は現在だと旭川、札幌、函館に強豪が集まっている。その中でも特に異質だったのが淺川亮だった。雑誌に掲載されていたプロフィールは良く覚えていないが、どこか本州のほうから引っ越してきたという。中学からバドミントンを始めたにも関わらず、昨年はジュニア大会を制覇した。周りからは天才と呼ばれている。

(そんな男と直に会える時が来るとはな……)

 全道大会。地区の代表。それは地区大会終了後から今日までで自覚はしていた。しかし、それでもどこかに非現実感があったのかもしれない。
 雑誌の中だけにいた強敵が、今はもう傍にいる。手が届くところに。

(もう、夢とかじゃないんだ。俺が頑張れば、そんなやつらを倒せるところまで来てる)

 吉田と共に走ってきた一年と六ヶ月以上。それは、それまでの武からは考えられない日々。勝利への飢えがおさまり、その次は勝利へのプレッシャーとなる。勝利が当たり前になると心の隙が生まれ、黒い感情が流れ込んでいく。不安や恐れが。その度に下を向き、いろいろな人の支えによってそれを乗り越えてきた。強者達のステージにいよいよ武は挑む。

「燃えて、きた」

 予感が実感に変わる。胸の内に宿る炎。いてもたってもいられないが、余計に疲れても仕方が無いと武は部屋のテレビをつけた。ちょうど見覚えのあるドラマがやっている。熱くなった頭を冷やすにはまったく別のことを考えるのも良いかもしれない。

「相沢ー。風呂入ろう」

 ノックと同時に聞こえてくる吉田の声。悶々と考えている間に時間が経っていたようだ。返事をしてすぐにテレビを消し、バスタオルを持って部屋の外へと向かった。
 ドアを開けると吉田の顔。見慣れた、頼もしいパートナーの顔。

「どした?」
「あ、いや。頼もしい顔だなーと思って」

 知らず知らずにじっと見つめていたらしく、吉田は少し警戒しながら言った。それに対して答えると頬を緩めて噴出す。

「なんだそれ。でもまあ、ありがたいよ。俺もお前の顔、頼もしい」
「はは。いいんじゃない? 明後日から期待してるぜ」
「おうよ」

 風呂場に向かいながら、武は思う。
 もう恐れることは無い。ただ、向かっていこう、と。

 そして、最後の休息の夜が過ぎていった。
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