Fly Up! 118
「一本!」
橋本は咆哮と同時にロングサーブを放ち、そのまま前衛に入った。上げたならば防御体勢になるのが通常の戦術。しかし、一ゲーム目の始まりから今まで、橋本は常に逆の戦術を取ってきた。その結果なのか、点数は十三対八とリードを広げている。更に、まだファーストサーブだった。ここで失敗しても林の番が残っている。
「はあっ!」
藤本が渾身の力を込めたスマッシュを叩き込んでいく。前にいる橋本には当然届かない、サイドラインぎりぎりの位置。
しかし、そこには林の姿がある。
十分な溜めを持って、シャトルをドライブで打ち返す。少しネットから浮いていたが、スマッシュを叩き返した威力に乗って伸びやかに藤本に跳ね返される。
「らっ!」
藤本は返ってきたシャトルを再度、スマッシュ。今度はクロスに打つも、交差する場所には橋本のラケットが既に置かれている。ただそこにあるラケットに跳ね返されて、シャトルは藤本達のコートへと戻っていった。
だが、前には小笠原も残っていた。跳ね返されたシャトルを更にプッシュで力強く弾き返す。
橋本の首元を掠めるように飛んだシャトルは、林が中央に戻ってきていたことで阻まれた。左サイドから戻ってきた勢いそのままに、ラケットを振りぬいて小笠原の左側に打ち返す。流れる動きに沿った理想的なショットに小笠原は動きが一瞬遅れる。
その隙に橋本は自分の立ち位置を修正した。
弾かれたシャトルは中空を舞い、橋本達のコートへと入る。力はなかったが高く、ラケットは届かないと思われた。
「うら!」
しかし、橋本は今いた場所よりも後ろに下がり、ジャンプしていた。垂直飛びでは体勢が悪く届かないが、下がる余裕があるならば無理ではない。
結果、シャトルは藤本達のコートで動きを止めた。
「ポイント。フォーティーンゲームポイントエイト(14対8)」
試合初めてのゲームポイント。それも、藤本達ではなく橋本達の。
下馬評では藤本達が有利だった。
いかに橋本・林組の学年が上だろうと、実力は藤本達が上だと思われていた。
武達への挑戦権を先に得るのは藤本達と誰もが思っていたからこそ、今現れている結果に選手達の目が集中している。
「さ、まずはラスト一本」
視線が集中する中でも、橋本は林に向けて笑みを浮かべた。普段と変わらない姿。その中にどれだけ策をめぐらせているのか。
(頼りにしてるよ)
橋本がサーブ姿勢に入り、後ろに回した左手の親指を立てる。本来ならばロングサーブの印。しかしこれまでの試合の流れならばショートサーブで決めてくるはずだった。
これまでなら。
(親指が、下がった)
一度上がった親指が下がり、一瞬だけ小指が跳ねる。少しだけ違うサインに感じるものがあり、林はシャトルが打たれると同時に後ろに下がる。
ロングサーブが小笠原の頭上を抜けていく。一度前に右足を踏み込んだことで動きが遅れたのか、体を仰け反らせながらシャトルを追っていった。橋本はそのまま前に残り、トップアンドバック。小笠原が苦し紛れに打ったドロップはしかし、綺麗な軌道を描いてネット前に落ちていく。プッシュで叩こうにも叩けない位置。
しかし橋本は下からラケットをスライドさせるようにシャトルを打ち込んだ。
ほぼ密着した状態からのプッシュ。ネットぎりぎりを叩ける者はそうおらず、藤本も不意を突かれた形で十五点目を許していた。
「ポイント。フィフティーンエイト(15対8)チェンジコート」
あっさりと告げられるポイントと一ゲーム目の終わり。
客席からどよめきが起こる。橋本は顔に笑みを浮かべたまま堂々と進んでいき、林は林で多少動揺しつつも自分の戦果をかみ締めてコートを横切る。
だがポールを回った時、ひやりとした空気を感じて伝わってきた方向を見ていた。
藤本と小笠原の鋭い視線が、林の顔目掛けて向かってきていた。凍てつき、突き刺さるような痛みに自然と林の顔は強張った。全く表に出てこなかった闘志が今になってむき出しになろうとしている。表情が変わらないだけにその変化は激しい。
「とうとう本気みたいだな」
声に振り向くと、橋本がにやついたまま二人を睨み返している。強い視線に物怖じしない様子に改めて感心しなおして動揺を収めた。
「橋本。そろそろ教えてくれよ。サーブを逆に打つわけ」
セカンドゲームを始めるために配置につく四人。サーブ姿勢を取るために足場を固める橋本に向けて、林が尋ねた。
「ああ。サイン読まれることを防止するためさ。前に試合見かけた時、同じ翠山中の部員が相手ペアの後ろにいってサイン見てるのが目に付いてな」
その言葉にはっとして振り向くも、誰もいない。
「林は反応が素直でいいな」
橋本の呟きに反論しようとするが、審判が試合のコールをかけて第二ゲームが始まった。サーブの姿勢で固まっていた橋本には声をかけれず、林も気持ちを切り替えて構える。
第一ゲームとは空気が違っていた。ネットの隙間から伝わってくる冷気は紛れもなく藤本達のもの。外から見ている人間からすれば気のせいだと笑われるかもしれない。
しかし、その場に立つ林には――おそらく橋本にも――感じ取れているはずだった。面と向かい合った者にだけ感じる相手の気配が。
(今まで、感じたことが無かった、もの)
橋本のサーブに体が自然と反応する。ショートサーブに対して一歩だけ左側に移動する。今までは真正面へのプッシュがほとんど。クロスでも、橋本がカットしていた。
だが、放たれたのはクロスのプッシュ。橋本の反応速度よりも速く、林の体の切り替えしよりも速くシャトルはコートに突き刺さった。
「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
唖然としてしまい体が動かない林に変わり、橋本は振り返ってシャトルを拾い、藤本達に返す。まるまる動作一つ分をかけて林は回復し、橋本は林へと労いの言葉をかけた。
「ドンマイ」
「……あれが本気か?」
「そうだろうな」
あっさりと言う橋本の言葉は、林へとその事実を刻み込む。第一ゲームでの優位性などない。第二ゲームからの相手ペアは全くの別人だった。
「多分、一ゲームかけてこっちの実力を読んだんだろう。それで本気を出してきた。すげーじゃん」
「何がだよ」
「俺ら、それだけ強いんだぜ」
藤本がサーブ姿勢を取っているのを見て会話を止める橋本。林もまた自分の定位置に戻って相手のサーブを待った。
(なんであんなに嬉しそうなんだ?)
橋本の顔に焦燥感はない。むしろ、藤本達の強さを楽しんでいる。
ショートサーブをヘアピンで落とした橋本に対して、サーブを打った藤本は更にヘアピンで応戦する。そこから二度三度、ヘアピン勝負の後でロブが打ちあがり、藤本と小笠原はサイドに別れた。後ろに構えていた林には二人の動きが良く見て取れる。
(俺も――)
オーバーヘッドストロークでシャトルを待ち構える。
その時、林の頭の中に警告が走った。
(駄目だ。これは、カウンターを狙われる)
スマッシュの体勢で伝わってきた感覚。素直に身を任せると、林の体はシャトルの下から離れていた。体を強引にその場から引き剥がしてから、ラケットを真横に構えた。
(ドライブ――!?)
自分で行った動作に驚く。それでも体は反射的な動きに従って動き、シャトルがちょうどいい打点に来た時、腕が振り切られた。
林自身驚くほどタイミングがあった一撃は、シャトルを奥へと飛ばした。藤本と小笠原の合間を縫って。
最後まで抜けるかと思われたシャトルはしかし、差し出された藤本のラケットによって捕らえられる。だが咄嗟の反応だったからか、遅れは取り戻せず林達の右サイドへ何とか弾き返したといわんばかりの球になる。
「うら!」
今の橋本はそこを見逃さない。不規則に上がったシャトルだったが、的確にプッシュでサイドラインに叩き込む。文句なしのショットでセカンドサーバーへとシャトルをスイッチさせた。
「さ、ストップストップ」
林に向けて言う橋本。その背中に向かう小笠原の視線を林は見るが、何も気にすることが無い橋本に従って、気にしないことにした。
(そうだ。気にするからいけない。怖かろうがなんだろうが、俺が目指すのは試合に勝つことだけだ)
橋本と前後入れかわり、サービスラインの傍に立つ。少し離れたネット。その先にある小笠原の視線。隠すことの無い敵意。相手が倒すべき者達と定めた場合に迫る眼光。
「ストップ!」
「一本!」
負けぬように叫ぶ林に被せるように、小笠原はロングサーブを放った。高さは無く距離があるシャトル。アウトかどうか悩む前に、林はハイクリアで奥へと飛ばす。
(迷うくらいなら、打つ!)
既に藤本が下に着いて、スマッシュをストレートに放った。目の前にいるのは林。取りにくい胸のあたりへの軌道にラケットを食い込ませて弾き返す。そのシャトルが落ちる前に小笠原が前に飛び出し、プッシュでクロスに弾き飛ばす。カバーに入った橋本の首元を過ぎていったが、十分に林の防衛範囲だ。
「はっ!」
小笠原がいなくなり、がら空きになった右前へとバックハンドでシャトルを打つ。だが、そこには後ろから走りこむ藤本。ネットを過ぎたシャトルをヘアピンで丁寧に落としていた。
「んなろ!」
滑り込んできた橋本がロブで打ち返す。ヘアピンを打った藤本が後ろに下がり、再びストレートにスマッシュを打ち込んだ。
(動きが……見える!)
林はバックハンドで構え、力を抜きてラケットをクロスに向かわせる。シャトルは余計な力などなくあるべき場所に収まるという具合に対角線上のネット前にぽとりと落ちていた。
ゆったりとした時間に誰も反応できず、シャトルは林達の下へと戻ってきていた。打った林でさえも今、何が起こったのか気づかない。唯一答えを持っていたのは、審判として今のプレイを見た杉田だけ。
林が打ったのは、杉田が刈田戦で見せたものと同じ。
相手の強打に対して最小限の力で少しだけ押し出す。それで相手の死角を完璧に突く。当人も狙ったわけではないからこそ、最高のカウンターとして通用したのだろう。
「ラッキーラッキー。さ、一本いこうぜ」
橋本に頷く林。迷わずに後ろに付いてサインを読む。自分のドライブに自信を持ち、打ち抜くことを理解して勝利へと進むことを決めた顔。
元から相性が良かったペアが強敵と対戦することで結束を強くしていた。
「一本!」
ショートサーブのプッシュも林のフォア側。普段から相手のバックハンド側に打つことを体が覚えているのか、左利きの林には絶好球となる。狙いをあわせて振り抜かれたラケット。弾かれて強力なドライブとなって飛ぶシャトル。小笠原が手を出して、その威力に押し負けてか浮く。それを橋本が飛び上がり、スマッシュで叩き込む。
繰り返される展開。
藤本達が本当に点を取りに来たゲーム開始時。そこで一点も与えずやりすごしたことがターニングポイントだったのか、橋本達は面白いように点を重ねていった。
橋本の動きに反応して、藤本達が逆方向へとシャトルを打つ。そこには林が待ち構えており、ドライブで鋭く返していく。両方とも左利きならばまだしも、片方だけが左利きだと打つ時にどちら側に打つかと考えて反応が遅れてしまう。だからといって咄嗟に打てば体に染み付いた感覚が左側を狙う。しかし林には絶好の位置に打ち込んでしまう。
実力差はそこまでないだろう。むしろ藤本達のほうが上。
しかし橋本と林と彼らとで違ったのは。
(相沢達に比べれば!)
二人と異なるのは、自分達よりも強いダブルスと数多く対戦できているということ。
何度負けても、挑み続けたことだった。
Copyright (c) 2008 sekiya akatsuki All rights reserved.