Fly Up! 109

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『夏休み・由奈、早坂の場合』


「浅葉中ーファイトー!」
『ファイトー!』

 先頭を走る早坂の声に、他の部員達が唱和する。中学のマラソンに使われるコースを走りながらの号令は酸素を多く消費する。ついてこれない部員を出さないようにペースに気を使いながら早坂は後ろをちらちらと向く。
 二年はさすがに問題なくついて来る。問題は一年生。多少遅れながらも諦めることなく走っている様子は彼女を安心させた。

(ようやく実力がついてきたんだし、挫折はしてもらいたくないしね)

 一年生に視線を向ける振りをして、すぐ後ろを走る若葉を見る。自分や清水など実力を持った者だけではなく初心者も挑戦できる部活を望んでいた若葉。役職に就いてその考えを実践したかったようだが、結局は部長に早坂が、副部長には清水と由奈が就任した。
 早坂と清水は実力重視なだけに、夏休み前よりも厳しい練習メニューを考えた。その中ではやはり潰れそうになる女子もいた。
 そんな彼女達を誰よりも励ましたのは若葉と由奈。部での役職は重要だが、就かないほうが動ける時もある。
 上で引っ張り上げ下が押し上げ。浅葉中女子バド部は、今までよりも団結力が上がっていた。

「皆! もう少しだよ!」
『はい!』

 疲労で声を出すのも苦しいはずだが、一年は喰らいついていく。速度を速めて早坂達先頭集団に迫る勢いの部員も何人か。

「ラストスパート!」

 マラソンコースの最後の直線に入り、早坂は更に速度を上げた。追いついたと思ったのか顔をほんの少し緩ませた一年女子が、驚愕に顔を引きつらせる。他の二年達も速度を上げて早坂の後に続いてゴールする。二年が全員ゴールした後に一年が続く。順位は変わらなかった。

「少し休んだら中で基礎打ちだよ」
『は、はい……』

 その場に膝をついて休む一年を尻目に、早坂は先に校舎内へと入った。すでに男子はランニングを終えて基礎打ちをしている。視線は自然と武のほうへと向かった。
 武は吉田に向けてスマッシュを打っている。最初だからか速度はそんなにない。しかし一発一発シャトルがネットを越えていくたびに音が変わっていく。
 強さも鋭さ、角度もきつくなる。それでも吉田は取り続ける。

(あの防御力はやっぱり欲しいかも、ね)

 自分を顧みて早坂は思う。何度かレシーブ力強化のために練習と武に付き合ってもらったが、まだまだ足りないと考えていると後ろから声がかかった。

「早さん?」
「あ、ごめん」

 体育館の入り口で足を止めていたため、後ろから来た由奈は肩を叩いて問いかけてくる。視線の先に気づかれなかったかと不安に思ってから、考え直す。

(なんで由奈に不安にならないといけないんだろ)

 自分の胸の奥から湧き上がってくる感情に名前をつけられない。しかし、その動揺を表に出すことなく早坂は女子のコートへと戻るとストレッチを始めた。先に戻ってきている二年部員もそれに続いている。

「ねー、早さん」
「何?」

 開脚して上体を倒している早坂の後ろに来た由奈は、そのまま背中を押し始める。一定のタイミングで押される背中に体は徐々に解されていった。

「なんで武のほう見てたの?」
「っ!」

 由奈の言葉にかすかな敵意が滲む、ように早坂には思えた。言葉と力が連動したのか、それまで適度な加重のかけ具合だったにも関わらずその時だけ痛みが増す。事実なのか自分の思い過ごしなのか早坂は判断できず、動揺を滲ませないように言葉を発する。

「なんでって、相沢のスマッシュ相変わらず速いなって」
「ふーん、それだけ?」

 似たようなやり取りが以前あったような気が早坂にはしていた。後ろにいる由奈の顔はいったいどうなっているのか、早坂は知りたくなる。

「それだけって……それだけだけど」
「そうかぁ」

 しかし、顔を見る前に会話が途切れ、しばらくストレッチが続く。最後に目一杯押し込まれて終了。戻ってきた一年もワンテンポ遅れて体を伸ばしているのが見えた。早坂は体を起こして一年に向かって言った。

「じゃあ、二年生はもう基礎打ち始めちゃおうか。一年はストレッチ終わったらいつものように素振りからね」
『はい!』

 ランニングの疲れから回復したのか、返事は先ほどよりも良い。現在の一年生は六人にまで減っている。名簿上は十二人とあるが、夏休み以後皆勤なのは今いる人数。他はどんどん来ることがなくなっていた。

(六人もいれば十分か)

 由奈とハイクリアから基礎打ちを開始しつつ、考える。人数が少ないほうがそれだけ練習の時間が増える。中学ではバドミントンのイメージが変な方向に向いているのか、五十人ほどがまず入る。そこから一月で三分の一となり、三ヶ月もすれば固定されてくる。早坂達は八人で、今回の一年は六人。妥当な数だ。

 ハイクリアも徐々に打つ力を上げていく。強打しても後ろのラインを超えないくらいまでの高さを調節すると、次はドロップ。打ち慣れてきたところでドライブ、スマッシュと続き、最後にヘアピン。
 丁寧にこなす中で、早坂は由奈の成長に驚いていた。スマッシュやハイクリア、ドライブの威力というものはそこまで無い。しかし、コントロールが小学生の時から中一にかけてそこまで実力は伸びなかったはずなのに、ここ最近で一気に伸びているのを感じる。フォームに安定性が出てきたことが直接の要因だろうが、それを可能にしたのは何なのか。

「とと」

 早坂のヘアピンでシャトルが少し由奈から離れる。そこにラケットが伸ばされて、自然とラケット面がシャトルコックを摺る形になった。とたん、不規則な回転をして早坂の側に落ちてくる。

「もしかして狙った?」
「うん。十回に一回くらい成功するんだー」

 由奈は嬉しそうに笑う。回転をかけたシャトルは空気抵抗によって不規則な動きをして落ちていく。それは通常のショットよりもはるかに取りづらく、ヘアピンでは効果的だ。部活の中でも上手く打てるのは吉田くらいしか早坂には思いつかない。だからこそ正直に尋ねる。

「吉田に習ったの?」
「いや、武だよ」

 早坂側のコートにネット下からラケットを通してシャトルを回収する。武の名前が由奈の口から出たとたん、早坂の心臓は鼓動を少しだけ早めた。
 焦りから言葉が出てくる。

「あ、相沢もスピンかけられるようになったの?」
「武も何回かに一回くらいしか成功しないって練習してたんだ」

 まだ武も習得していないと聞いて早坂の中に安堵が広がっていく。次に来るのはなぜ武のことで心のうちがざわつくのかということ。確かに一度は実力を抜かれて嫉妬したこともあったが、その気持ちも切り替わってよきライバルと認めたはずだった。
 武は武であり、自分は自分。そう考えることが出来るようになったと思っても、そう簡単には変わらないのだろうか。

「早さんなら武より上手くできるでしょ?」
「まあ、まだ負ける気はしないけど」
「逃げ腰じゃない? 珍しく」

 会話を交わしている間も由奈と早坂はヘアピンを続けている。
 上半身だけではなく下半身でシャトルを追う。細かいやり取りの中でも二人の体は常に固定され、ラケットの起点となる手首だけがせわしなく動いている。
 シャトルを打つプレイヤーはいわば砲台。いくら威力があろうとも砲座がしっかりしていなければコントロールも威力も出ない。由奈の努力の結晶と、その後ろにある武との絆が見える。

(本当、何でこうモヤモヤするんだろう)

 最後にスピンをかけて由奈の側にシャトルを落としてから、早坂は一年と交代を告げた。


 * * *


 練習時間は特に事故も無く過ぎ、解散の時がきた。時刻は午後五時。早坂は自転車に乗って寄り道をせず帰る気でいた。シャツを着替えただけのジャージ姿で、自転車を漕ぎ始めた時、後ろから声が聞こえた。

「なあ、早坂。ちょっといい?」

 咄嗟にブレーキをかけたために体が前のめりになるのを堪えた早坂は、ワンテンポずらして声の主――武へと振り返る。
 自分と同じく浅葉中のジャージに身を包んだ武がそこにいた。大抵は吉田や由奈と共にいる印象が強いため、一人で自分の前にいることに早坂は慣れない。一年の初めの頃、夜のランニングの途中で会ったことを何故か思い出していた。それでも言葉には出さず平坦に尋ねる。

「何? 驚いたんだけど」
「あいや。ちょっとさ、スピンかけたヘアピンの練習したいんだよ。早坂上手いから付き合ってくれないかなと」
「市民体育館で?」

 頷いてから早坂を見る武の目は、期待半分諦め半分の色が出ていた。昔よく見ていた怯えの光は全く見えない。そもそも同学年なのに怯えや遠慮などの感情があることで不機嫌になっていた部分もあった。だからこそ最近の関係は居心地がいい。昔、自分しかいなかった場所に何人もいるような、孤独ではないという感覚が早坂に穏やかさを与えてくれる。

(相沢が上手くなってやっぱり嬉しいんだよね。私)

 自分の気持ちに素直になると、やはり武の存在は大きくなっているのだろうと早坂は思う。庄司や吉田が武の才能を見出したのだろうが、それ以前に片鱗を感じていたのは自分だと早坂には自信がある。バドミントンを始めた時から最も傍にいた一人。その中でも特に成長する可能性を秘めていた武。いざ追いつかれ、追い抜かれてからは葛藤もあったが思い返すと微笑ましくなる。

「いいよ。私ももっと精度上げたいしね」
「……いいの?」
「駄目のほうがよかった?」

 武はぶるぶると頭を左右に振って、自分の荷物を取りに戻った。早坂が帰ろうとするのを見かけて先に足止めをしたらしい。

「しょうがないわね」

 日が当たる場所を避けて、日陰に早坂は移動した。
 玄関に置いていたのか、移動した直後に武が慌てて出て来る。駐輪場に自転車を取りに行って来ると言い残して姿が消えてから、今度は清水が玄関を出て早坂へと近づいてい来る。

「今帰り?」
「そうしようと思ったけど、相沢からバドミントンの誘い」

 そう言った早坂に対して、清水は笑いと困惑が混ざったような曖昧な表情を浮かべる。それに気づいて尋ねる早坂に清水は言おうか迷うように顔を伏せる。

「どうしたの?」
「……怒らないで聞いて欲しいんだけど」

 前置きと共に清水は言おうとする。恐る恐る口を開く様は昔の武を想像させて早坂の中に少しだけ怒りの針が刺さる。

「早坂。凄く嬉しそうに見えるけど……やっぱり相沢君のこと好きなの?」

 言ってから怒声が来るだろうと身構えた清水に、早坂は何も動かなかった。言われたことを理解出来なかったわけではない。ただ、自分の気持ちがどうなのかまとまらなかった。怒りは特に感じない。由奈の前では普通に否定の言葉が出てきたにも関わらず、清水には何故言えないのか。

「別にそんなことないけど」

 否定の言葉もどこか弱い。清水も予想外だったのか、早坂の言葉に頷きつつも理由を述べ始めた。

「なんかさ、相沢君からって言った時の早坂の顔がいつもより緩んでてさ。勘違いしちゃった。ごめんね、変なこと言って」
「別に変なことじゃないよ。ただ違うだけだし。気にしてないよ」

 そう言って微笑む早坂に安堵したのか、清水もようやく緊張を解く。ちょうどそこに武が自転車でやってきた。

「お待たせ。あ、清水」
「相沢君。お疲れ。これからまた練習するの?」
「ああ、早坂とヘアピンの練習だよ。そんなに疲れないようにする予定」

 清水への言葉に早坂は少しだけかちん、と撃鉄が降りる音を聞く。

「疲れないと練習にならないでしょ。そんなのなら帰るわよ」
「ごめんごめん」

 急に不機嫌になった早坂をなだめるように謝って、武は先に自転車を動かす。

「一時間くらい集中してやりたいから、早く行こう」
「……分かったわよ。しょうがないわね」

 清水に別れを告げて武を自転車で追いかける。内心で問いかけられた言葉を考えながら。

(相沢を好き、か。良く分からないわよ、そんなの)

 そこまでで思考を切って、早坂は自転車を速めた。いつか答えが見つかるだろうと思いながら。
 夏休みも終わりに近づき、夕日も徐々に早くなっていく。
 二人の影が、道路に伸びていった。
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