●● 越えたい壁 ●●
「あちぃ」
口に出しても暑さは何も減らなかった。体育館から廊下に出ても全然収まらない。もう床に這いつくばるしかこの暑さを我慢する手立てはないのか。背中を体育館の壁に押し付けてぐでっとしてても、やっぱり茹るように暑かった。今朝、家を出るときも今年一番の猛暑になるとか言ってた気がするし。
何回今年一番が来るんだ。日本記録更新しすぎじゃね?
「竹内。今、考えてることは分かるぞ」
隣で同じように壁に引っ付いてる田野が言ってくる。四月からダブルスを組んだ仲。分かってくれるか。
田野は顔を動かして俺にある方向を指し示す。見ろってことなんだろう。なんだ? 何かいるのか?
「あぢいい」
いたのは蛙のようにヘタってる他の一年だった。これと同じになろうとしてたっていうのは、とても醜い。
「止めとくか」
口を開くのも疲れるのか、田野はただ頷いただけ。ため息一つ。目の前を見ると、更にもう一つ追加だった。
コートでは俺らの数倍はありそうな速度でスマッシュを打ったり移動したりとしてる先輩達の姿があった。それでも、片方はまったく相手になってない。スコアは14対7。ダブルスコアももうすぐだ。
「はっ!」
良く通る声と一緒にスマッシュが放たれる。外から見ても一瞬で相手のコートに移動したかのように見えるスマッシュが、実際に受けると本当に速くて目で追えなくなる。マジばけもんじゃないか?
シャトルはもう一方で受けた橋本先輩が弾き返せなくて、そのままゲームセットになる。これが終わったら、次は俺達が入ることになってた。でも体が思うように動かない。
「次。竹内と田野……ってお前ら大丈夫か?」
「すぃーません。暑さにやられて動けません」
部長の吉田先輩に手を上げて宣言する。軽口を言えるだけマシかもしれないけど、田野は多分限界だ。それも吉田先輩は分かってくれたらしい。
「よし。じゃあ休憩しよう」
『はーい』
一年の返事が同時だった。安心する反面、二年の先輩達は休むといってもそこまで疲れていないみたいだった。吉田先輩や相沢先輩はサーブ練習を始めるほど。疲れた時こそってやつかな。
どっちにしろ、それさえも出来る体力はない。よろよろになったけど、何とか体育館の扉を開いて水飲み場に向かった。
一年でこんなに差が出来るんだなって思う。小学校の時からやってきて、それなりに自信はあった。そりゃ、学年が上の人には勝てなかったけど、それでも徐々に強くなったと思う。いつか、年目の壁を越えて倒せるって思ってた。
でも一年の壁は大きくていつまで経っても越せる気がしない。どっちかって言えば、離れていってる。あっちが、全力で。
この差は、なんなんだろう。
なんとか水飲み場にたどり着いたら、後からやってきた杉田先輩が颯爽と水飲んで帰っていく。時間を少しでも無駄にしたくないって感じだ。あの人も、中学から始めたのに多分シングルスは勝てない。
体格の差とかあるけれど、それでも成長度が半端じゃない。それに比べて、俺は成長してるんだろうか。
目の前で蛇口から出ている水。垂れ流されてるそれに顔をつけて、しばらく息を止めてみた。
火照った顔が痛くなってきたところで上げる。
「ぷはぁ」
「少しは疲れ取れた?」
かけられた声のほうを見ると、隣には寺坂がいた。俺よりも少し身長が低いくらいの、同学年。
実力も一番。こっちは、田野とどっこいどっこいだな。同じような立ち位置なわけだ。
だから、あまり弱みは見せたくない。
「疲れなんて。田野とか他の一年がぐだってたから合わせただけさ」
「誰に言い訳してるの?」
「……いや、お前に」
「ばればれでしょ」
寺坂は両サイドで結んでた髪を解いて軽く手で梳くと、水を出して顔をつける。さっきの俺と同じように。
しばらくして上げた顔はとても気持ちよさそうだった。
「ぷはぁ」
「気持ちよかったか?」
「うん。後もう少し。体調管理も選手の仕事だし、頑張らないと」
選手といっても、自分達には出番はないだろうに。夏休みがあけた頃にあるジュニア大会の予選は、おそらく先輩達の年代がしのぎを削るだろうし。俺らがいくら頑張っても、代表にもなれない。
「なあ。なんでそんな頑張れんの?」
寺坂に思わず、尋ねていた。何を言われたのか良く分かってないのか、寺坂はきょとんとした顔で俺を見てる。なんか俺が馬鹿みたいじゃないか。もう一度尋ねようとしたけど、そこに田野が割り込んでくる。
「あ、いた。そろそろ休憩終わりだぞ。どれだけ水飲んでるん?」
「すまん! いまいくわー!」
そういや、次は試合だった。ここで話し込んでるわけにもいかないし、今は部活終わるまで集中すっか。
「ごめん寺坂。なんでもないわ。んじゃ!」
「あ……」
何か言いたそうな寺坂を置いて走る。あれだけ疲れてた体が水分とって休むだけでこれだけ動ける。
でも、体育館の中に入れば、別世界。
扉を開けるとむわっとした空気にむせそうになる。
「来たかー。やるぞー」
相沢先輩が気の抜けたような声を出してくる。隣にいる吉田先輩もどこかだるそうだ。
――俺らなんて相手にならんってことかな。
「すいません! お願いします!」
それならそれでいい。舐めてる相手に噛み付いてやる。
「行くぞ、田野!」
「おう……って、遅れてきたのそっちだし」
苦笑する田野を引き連れてコートに入る。ここから、練習再開。絶対先輩達に一泡吹かせる。
「お願いします!」
シャトルを貰って、挨拶。サーブの構え。
「一本!」
ショートサーブを眼前に吉田先輩へと打ち込んで、 試合をスタートさせた――
* * *
「なんであんなに勝てないんだろ」
そう口に出さないと、もうやってらんね。練習再開してからは15対0で押し切られるし。それからまたもう一ゲームやっても駄目だった。向こうも今まで以上にシビアなコースに打とうとしてるのが分かった。なら、ミスしてもおかしくないじゃないか。なんでノーミスで更に取れないところにばかり打てるんだ。
「今、竹内が考えてること当ててやろうか。やってらんねー」
「分かるならなんとかしろよー」
家が逆方向なのに田野は俺についてくる。こういう時の俺の行き先が分かってるからだろうけど。今回はこいつも行くんだろうか。
「お前も行くの?」
「ん。あそこのスペシャルドリンク美味しいから」
スペシャルドリンクがどんなだったかを思い出そうとしたら、目指す店が見えた。
桃華堂。
多分、この街で一番繁盛してる喫茶店だと思う。中心街の過疎化とか、郊外の大型スーパーに負けないくらい毎日毎日、人が入ってるし。
「今の時間だと少し空いてるみたいだな」
田野の言葉で携帯をポケットから取り出す。時刻を見ると、午後四時。昼十二時から練習してさっき終わったのにこれだけ疲れてんだなと思うと更にだるくなった。
「まあまあ。美味いものでも食べて元気出せ」
「お前は飲むんだよな」
「ああ」
自転車置き場に自転車立てかけて、田野を置いて入り口に入る。さっさといい席取らないとゆっくり出来ないし。
でも入り口のドアを開けて中に入ったところで、いきなり名前を呼ばれて止まってしまった。
「竹内ー。ここ!」
見てみると、寺坂が一人でイチゴパフェを食べていた。ここの名物のジャンボイチゴパフェ……更にでかいのだとビールジョッキくらいあるらしい。今は大き目のパフェ皿に乗ってるけれど。
てか、あいつ。俺らより少し前に帰ったはずなのになんですぐ食べれてんだ? 時間的におかしくないか?
「あ、寺坂」
「田野も! こっち空いてるからどうぞ」
「お二人ですか?」
「じゃああっちと一緒で」
ようやく店員が来たところで田野が俺より先に言った。あんまり気分じゃないんだが。
「いいじゃん。座ろうぜ」
「……分かったよ」
別に一緒の席で悪いわけじゃないし。かまわないけど何かもやもやする。何か忘れてる気がする。寺坂の顔を見て何か連想できるものがあったような。
考えてる間に席について、田野は桃華堂スペシャルドリンク。俺はチョコレートパフェを頼む。店員が行った後で、寺坂がくすくす笑ってきた。
「竹内、パフェとか好きなんだ」
「……疲れたら甘いものが食べたくなる」
事実だったから特に怒りもしない。なんか男子が甘いもの食べると馬鹿にされるのも気にしない。ていうか、それで怒る体力がないわけだけど。
「ごめん。怒った?」
「怒る気力もないわ。……て、ようやく思い出した」
寺坂と話してたら、思い出した。休憩時間中に寺坂に「なんで頑張れんの?」とか聞いたんだっけか。覚えてるんだろうか。
「そういえば、休憩時間、何で頑張れるのとか聞かれたけど、なんでそんな質問?」
「そんなこと聞いたのかー」
田野はメニューを眺めながら生返事。こいつ、バドミントン以外は少し抜けてるんじゃないか。外面いいから去年のバレンタインはチョコたくさん貰ってたらしいが、本性はこんなんかよ。
「あ、ああ。言ったけど。忘れてくれ。頑張るのは当たり前だ」
「二週間前は練習あるのみとか言ってたのにどうした?」
そういえばそんなことも言った。全然勝てないから、市民体育館で秘密特訓しようとしたら、清華の小島さんがいたんだった。それを見て、どんどん駄目な点を指摘しあおうとか決めたのに。今のやる気のなさはなんだろう。
「良く分からないけど、悩んでるみたいだね」
「そっちもなんか悩んでそうだな」
田野はメニューから顔を上げずに寺坂へと言った。聞いたとたん固まったところを見ると、図星か。なんかいろいろあるな。そして田野は超能力者かなんかか?
「まあ、悩んだ数だけ強くなれるんじゃない?」
「田野は悩んでるんだ」
「寺坂や竹内くらいは外には出してないけどね」
田野の言葉に棘を感じるのは俺だけか……と目の前を見たら寺坂が不機嫌そうに田野を見てた。俺は間違ってないようだ。でも、多分それも図星だからなんだろうが。
なんで努力しても追いつけないのか。それより、何でこんなにいらだったりやる気無くしたりするんだってほうが気になる。経った二週間前にやる気を出したばかりだというのに。それが切れかかってる。
「俺は。なんでこんなやる気なくなるんかなって悩んでるけど寺坂は? 一人で悩んでるん?」
「一人でっていうか……なにそれ、私友達いるよ?」
「いや、いないって言ってないし」
会話はあまりかみ合わない。田野はスペシャルドリンクを飲み干すとトイレに立った。わざわざ「トイレ」とか断って。その時、話をしとけって目線を受けとった。どうやら席を外してくれたらしい。
トイレに行ってるって口実なら、早めにすまさないといけなさそうだ。
「しゃーねーから、相談に乗ってやるよ」
「……竹内に言っても解決にならないし」
「こういうのは話すだけで解決になる」
いつの間にか俺の悩みを解決というより、寺坂の悩みを聞く会になってる。でも、それまで悩んでたことがなんか薄くなってるのは確かだった。
「んー、やっぱり止めとく。竹内の悩み聞いてあげる」
……前言撤回。さすがにいきなりは無理か。
考えてみれば、こうして女子と二人で話すとか中学入ってからなかった。ずっと部活だったし、部活ない日は特にやることなかったから田野とか他の友達と遊んでたし。女子となんてクラスで掃除の時とかちらほら話しただけだ。
「俺の悩みはやる気がなくなることだけどな」
「それって理想が高すぎるだけじゃない?」
「理想、か」
うすうす気づいてるっていうか、まさにそれなんだよなと改めて思った。結局、相沢先輩と吉田先輩のペアは俺らにとっての理想で。三年の金田先輩達が引退する前にはいたけれど、やっぱり目標は相沢先輩達だった。でも相沢先輩と俺は全然違うし、吉田先輩とも少し違う。何が理想なんだろう。
一瞬、思い浮かんだ顔に驚いて頭を振る。綺麗な髪とか顔とか思い出したら顔が火照ってきた。
寺坂は良く分かってない顔をして俺を見てくるだけ。とりあえず、今ここで言えることはないみたいだ。
「理想は、確かに高いかもな。多分、あと一年以内に結果出したいからだろうな」
「一年なんだ」
「そうだな」
そう。一年後には、きっとあの人はいなくなる。だから、それまでに相沢先輩達に追いつきたい。出来れば追いつきたい。それが、無理だって心のどこかで分かってるからやる気がなくなるんだ。
「一年で、結果を出すなら、やっぱり頑張るしかないんじゃない?」
「分かってる」
「出来るか出来ないかは一年後にしか分からないし。でも、やらないと一年後は確実に駄目だろうし」
「分かってるって」
すでに頭の中では答えが出てる。やる気がなくなろうが、何しようが。一年で追いつくのは無理だと思おうと。
結局、どうやって一点を取るかを試合中に考えるってことに収束する。
グダグダ悩んでも仕方がない。分かってても戻ってきたくなる。
「ま、分かってるんならいいんじゃない?」
寺坂は立ち上がって伝票を持った。ラケットバッグを背負って歩いてく後姿をぼーっと見る。引き止める理由なんてない。
「また今度ね」
寺坂はそう言って会計して出て行った。その場に取り残される形になって、なんとなく店員の目線が痛い。
しゃべってる間にパフェのソフト部分が溶け出して、慌ててスプーンで掬い取る。
……また今度?
ってことはまたなんか話すのかな。
「寺坂帰ったんだ」
「田野。どこから見てた? ずっとトイレ?」
「意外と話してる時間短かったぞ?」
そこまで言って田野は向かいに座ってスペシャルドリンクを手に取る。底に残ったかすかな量を口の中に入れて、店員におかわりを頼んだ。もうしばらくここにいるのか。
パフェを食べながら思い出す。
さっき頭を過ぎった、早坂先輩の顔を。
一目ぼれでもないけど、やっぱり綺麗だし強い。憧れかもしれないけど惹かれてる。
でもきっと、早坂先輩は俺なんて視界に入っていない。
だから、視界に入りたくなる。
あと一年以内に入らないと、来年の今頃は引退してるだろう。
「まー、お前が何を悩んでるのか知らないけど」
田野の声がいままでと違うのに気づいて前を見る。真面目な視線を当てられて、息が詰まった。
「とりあえずさ。相沢先輩達に勝ちたいって思うのは同じだから、一緒に強くなろう」
「……ああ。悪かった。焦っても仕方がないよな」
「焦って強くなれたらいいよな」
残ったパフェを思い切り口にかきこむ。食べながら自分の中の想いも飲み込む。
恋愛感情っていうよりも、憧れだ。あんな強い人に注目される男になりたいってほうが大きいと思う。
だからこそ、立ち止まってる暇はない。
「うし、とりあえず帰って寝る」
「まだ日は高いけど」
「比喩!」
「意味わからん」
田野が笑ってるのを尻目に伝票を持ってレジに向かう。
ひとまず休む時は休む。そして、やる時はやる。
追いつけないとか追いつけるとか、それは追いついてから考えてみよう。
でもこうやって思ってもまた同じようにへこむんだろうが。
「まあ、またへこんだら寺坂に聞いてもらえば」
「……そうだな」
さっきの「また今度ね」を思い出しながらお金払って外に出た。まだ明るい空が店に入る前よりも高く見えた。
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