モクジ

● ポニーテール  ●

「ポニーテールって、いいよな」
 相沢武は体育館の壁に寄りかかりながら呟いた。誰かに向かって語ったわけではない。語りかけるようでいてその実、疲れに疲れきった思考は鈍り、発した言葉さえも曖昧だ。唯一正常に働いていた視覚によって得られた映像から今の言葉は生成され、口から漏れたらしい。
「そうだなあ」
 返事を望まれていない言葉に返された言葉。それは隣で同じように体を休めていた橋本直樹だった。こちらはまだ考える余裕があるらしく、自分の視線の先にあるポニーテールが武にそう言わせたんだろうと当たりをつけた。
「動きに合わせて馬の尻尾みたいに動くからポニーテール。昔の人は良く考えたもんだ」
「いや、お前何歳よ」
 疲れの中でも突っ込みを忘れない武。橋本は更に言葉を続ける。
「シャトルを前に後ろに追って行き、その中で揺れ動く髪。その動きが滑らかなほど憧れるよな。早坂だからこそ似合うよな」
「分かってたのか」
「いや、あいつしかいないし、ポニーテール」
 視線の先でシングルスの試合をしていた早坂由紀子の髪は最後まで中空を舞う。スマッシュを打ち、その勢いを保ったまま前に飛び込む。空気の流れに乗るようにポニーテールの髪の毛は動いていった。橋本も武も乗ってきたのか、橋本から端を発して会話が弾む。
「たまにああいうの見るとドキッとする」
「早坂がめちゃくちゃ可愛いと感じる時があるな」
「あいつは元々美人だからなぁ。黙っていればすぐ彼氏が出来そうだ」
「そして怖くてすぐ男が逃げるわけね」
 武がそう言った瞬間、早坂の視線が武の顔を貫いた。試合中の集中力も関係しているのか、鋭い眼光に武は体を硬化させる。
 幸いそれも一瞬で、早坂はすぐに試合に戻っていった。
「……女は」
「怖い」
「お前等は練習しろ」
 吉田香介の叱責と同時にシャトルが二つ、正確に武と橋本の頭にヒットしていた。
モクジ
Copyright (c) 2011 sekiya akatsuki All rights reserved.