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● FlyHigh! --- EX ●

 その電話が来た時、知美はベッドでうたた寝をしていた。
 今日一日はずっと気を張り、頭を動かし、試合では精神力を限界まで使って一縷の望みを繋ぎ、薄氷を踏むような勝利を掴み取った。
 単純に後輩との試合に勝っただけだが、その意味は練習の中での勝利だけに止まらない。今後のバドミントン部の未来がよくなる方向に進ませることができたと確信できるものだ。それほどの大きなことを成し遂げた知美にとって、その後は全てボーナスステージ。だからこそ、体からは力が抜けて、家に帰ってすぐに腕を振るわせながら食事を食べた後、自分のベッドに倒れ込んだ。

(メール……? でも、長い……電話?)

 マナーモードにしていた携帯電話がずっとやまないことに気づき、目をうっすらと開ける。付けっぱなしにしていた電灯からの光に目が焼かれないように注意する。携帯は斜め前に置かれていて、小刻みに震えていた。ディスプレイに表示されている名前は目が霞んで見えないが、電話ならばでなければいけない。

「……もしもし」

 左手で掴んだ携帯電話を左耳に当ててから仰向けになる。起きた直後で声を出すことも苦しく、かすれてしまう。電話口からの声はまずその点から指摘した。

『あ、悪い。寝てたか?』

 女子ではなく男子の声。名前は見ていないが、自分に電話をするような男子は同学年の竹内か田野――バドミントン部の部長か副部長しかいない。特に確認する必要もないだろうとそのまま会話を続ける。

「うん。今日の試合で疲れちゃって。寝てた」
『そっか。悪いな』
「ううん。いいよ。で、何の用?」

 電話の先にいる相手が一瞬口ごもった気がしたが、知美は気にしないで言葉を待つ。かすかにため息をつく音が聞こえた気がしたが、本当かも分からないことで話の腰は折れないと黙って待つ。少しして、相手は話し出した。

『今度の日曜日、スポーツセンターで打とうと思ってるんだ。一緒に打たないか』
「練習は……朝の九時から十二時までだから……うん。いいよ。他には誰が来るの?」
『今回は二人だけ。なんでかは……まあ、都合が悪かったってことで』
「なにそれ。歯切れ悪……まあいいや。分かった」
『ああ。じゃあ、よろしく』

 会話がひと段落して電話を切る空気になったところで、相手が一言添えてきた。言葉の通り、知美を極力フォローするように優しくゆっくりと言葉を紡いできた。

『寺坂。寝ぼけてるだけなんだろうから、気にするなよ? 真面目だから気にするだろうけど』
「へ?」
『じゃ』

 意味心な言葉を最後に電話は切れる。寝ぼけていても会話をしていく中で徐々に意識は覚醒はしていくのだ。会話の終わり頃には言葉の意味を理解できる程度には頭は回っている。
 だからこそ、最後の言葉には何か重要な意味が込められていると知美は思った。

(そういえば。結局、誰だったんだろ?)

 言葉の意味を考えるよりも先に、誰からきたのかを確認した方が早いかもしれない。そう決めて知美は着信記録の画面を映し、一番上にある名前を見る。
 そこに表示されていた名前を見た瞬間、血の気が引いた。

『相沢先輩』

 名前を見た瞬間から、自分が交わした会話が頭の中で再生される。自分が何をしてしまったのかを悟ると体の奥からこみ上げる衝動を押さえきれずに、知美は口を開いた。

「あ、ああ……きゃぁあああああああ!!!」

 気にするなと言われて気にしないようにできれば世話はなく。知美は力一杯絶叫した後で、力つきてベッドに倒れ込んだ。

「どこかに逃げたい」

 知美の悲鳴に慌てて階下から昇ってきた親が、心配して扉をノックする音が届く。ノックに返す力もなく、ベッドに突っ伏しながら、どこにも逃げられないと分かっていても呟いていた。

 * * *

「それって、デートじゃん」
「彼女がいる男子とデートすることはデートと言うのかな」
「言うでしょ、多分」

 自転車で併走しながら菊池と前日のことについて会話する。自分の内にため込んでいると旅に出たくなるため、タメ口で先輩相手に話してしまったことさえも告げると菊池は笑いながら、労った。
 いつもの知美はそういった言葉遣いも含めて気にする女子だと、副部長として支えている菊池にはよく分かっている。だからこそ知美が先輩に、しかも少し恋愛感情を持っているような相手に対して言葉遣いを緩めてしまうような失態を犯すのは、よほど疲れていた証拠だと理解している。知美もまた、菊池なら分かってくれると信じているからこそ彼女にのみ話したのだ。

「でも二人きりっていうのは怪しいね。なんか心当たりある?」
「ううん。全然。意味分かんない」

 実は心当たりはあったが、確信がないため菊池には話していない。二人きりというキーワードに当たるのは、数日前の夜に家の傍の公園で会った時だ。そこでもらったアドバイスを元に過去の『遊び』を思いだし、応用できないかを考えた上で、朝比奈へと向き合った。自分だけで解決しようとしたら思いつかなかったかもしれない。思いついたとしても遅かったかもしれない。だから、いつかは礼をしなければいけないと思っていた。

(お礼、何か持ってくればよかった。お菓子か、何か)

 中学生に用意できるのは食べ物くらいと、手作りを思いついた。しかし、彼氏でもなく、彼女がいる人に対して手作りのものを渡すというのは家族にも学校の皆にも誤解を与えそうだと思いとどまった。他のことは思いつけずに何も用意しないまま今に至る。

「まあ、当人に聞いてみればいいんじゃない。久しぶりにじっくり話すといいよ」
「う、うん」

 菊池の言葉に、いつしかすぐ傍にスポーツセンターが見えていることに気づく。菊池は「また明日。結果、教えてね」と声をかけてペダルを強くこいで速度を上げて去っていった。知美はその背中を見送ってから自転車の向きを変えてスポーツセンターへと向かわせる。
 自転車置き場に見覚えのある自転車が置かれているのが視界に入ってきて、気分が高揚してくるのが分かった。

(自転車見るだけで嬉しくなるとか……まだまだ諦めてないのよね)

 彼氏がいる人への恋愛感情ほど無駄になりそうなことはないと自分では分かっていた。さらに彼女のほうも小学校時代から人柄を良く知っている。
 相沢への思いの強さも、相沢がどれだけ彼女を好きでいるかも目にして何となく察している。だからこそ、自分の気持ちは届かないことも分かっている。
 すべて分かっていても、まだ思いは消えない。

(いっそ、告白して振られれば諦められるのかな)

 今、諦められないのはきっぱりと断られないから。ならば、無駄だと知りつつも告白して振られた方が今後にはいいのではないか。
 そう思いながらラケットバッグを背負って自転車に鍵をかけてからスポーツセンターの中に入る。
 受付で名前を確認するとすでに「相沢」の文字があり、コートを取って待っているらしい。メールで連絡をするのを忘れていたことを思い出したが、知美は先に更衣室に行って手早く着替えることにした。部活から帰る途中だったためジャージ姿のままであり、ラケットバッグの中にある換えのTシャツを着てしまえばすぐに準備は終わる。

(言うか……言わないか……)

 悶々としつつTシャツを着替え、ラケットバッグと共に更衣室を出てフロアに入ると目的の人はすぐに見つかった。知美から声をかける前に相手から名前を呼ばれる。

「お。きたなー、寺坂」
「……こ、こんにちは」

 相沢の姿を見た瞬間に、頭の中にあった「告白」という文字が消え去る。にこやかに話しかけてくる笑顔。小学生の時から変わらない顔が、告白をした後はなくなってしまうかもしれない。

(そんなの、嫌だ)

 極力、不安感を出さないようにして、知美はラケットを持ってからコートに降り立った。

「先輩。今日は、どうしたんです? 二人、で、なんて」

 二人で、と言う時に一瞬口ごもる。改めて強調すると緊張で体が動かなくなる。知美の緊張はどこ吹く風で、相沢は言った。

「ああ。ほら、俺も引退して勉強メインでやってるだろ。腕を極力鈍らせないために打ってるんだよ」
「はぁ」

 相沢の言葉の先にある嫌な予感に、知美は一気に緊張が解けていく。知美の思っていることが正しいと、次の相沢の言葉で証明されてしまった。

「うん。で、久しぶりに軽く打ちたいなって。ただ、吉田たとガチになりすぎるし。由奈は今日、どうしても無理みたいで。思いついたのは寺坂のことだったんだ」
「……そう、ですか」

 知美は自分の中の思いが急速に冷めていくのを感じる。分かってはいたはずだった。あくまで、相沢は自分を後輩としてしか思っていない。小学校の時から気さくに話しかけてくれていたのも、あくまで年下の友達という関係からだ。それは中学に入ってもそれは変わらない。変わらなかった。

(なんか一人でドギマギして、バカみたいじゃない)

 愛しい感情に悶々として発生していた靄が、形を伴って怒りに変わる。浮かれていた自分への怒りに。

(でも、当たり前よね。由奈先輩がいるんだから、当たり前のこと)

 そして、自分を女子と認識していないように振る舞うのも。あくまで妹の延長線上にいるような立ち位置なのだろう。

「それなら、それでいいか」
「ん? どうした?」
「いえ、由奈先輩に怒られないかなって不安になっちゃって」
「ああ。ちゃんと言っておいたから。大丈夫だろう」
「そう、ですか」

 自分は信頼されているのか。恋愛対象として見られていないと余裕を持たれているか。由奈の顔を思い浮かべて、すぐに考えるのを止める。

(ま、いいか)

 知美はため息を一つついてから笑顔を作る。恋愛感情を抜きにすれば、このシチュエーションはバドミントンの役に立つ。自分よりも実力がある男子と打ち合えるなら、たとえ相手の息抜きだとしても自分には血肉になるはず。

(でも、息抜きに使われるのもなんか、ね)

 相沢には悪気はないのだろうが、部活の後で疲れているのに息抜きのバドミントンさせられるというのも癪に触る。何かして相沢を困らせたくなった。
 そして、一つ思いつく。思いついたことは我ながらワンパターンだと知美は思ったが、相沢と自分にはちょうどいいのかもしれないとも考えた。
 小学校時代から、互いに変わらない距離を保つならば実にふさわしい方法だ。そう思ったら、もう口が開いていた。

「先輩。一緒にやるのいいんですけど。一つ条件があります」
「なんだ?」
「マイナス十五対十四からやりましょうよ」

 ラケットを掲げて相沢へと宣言する。堂々と、つい先日に行った試合形式を提案した。
 この状況はいわゆる遊びだ。相沢は日々の疲れるイベントの中での息抜きの場として、ここに立っている。
 ならば遊びは遊びらしくすればいい。相沢と自分の遊びと言えば、このハンデマッチだったのだ。

「先輩が勝ったら、これからもたまに呼び出していいですよ。私もバドミントンが好きですし。たまに気分転換もいいかなって思います」
「じゃあ、寺坂が勝ったら?」

 相沢の問いかけに知美は一瞬考えて、答えた。

「私と付き合ってください」

 知美の言葉に相沢は動きを止める。何かを答えようとしても言葉にならずに目線が泳ぐ。相沢の様子を見て、知美はこらえきれずに笑った。

「ははっ……冗談です。じゃあ、遊びじゃなくて本気で私を鍛えてもらっていいですか? 私も、もっと強くなりたいですし。相沢先輩の息抜きにはならないですが」
「そ、そうか……」

 要求を言い直されたことで相沢は見るからにほっとした。知美も表に出さなかったがあと数秒、相沢の沈黙が続けば心臓が締め付けられて潰されそうな緊張に耐えられなかったに違いない。
 あるいは、自分の言葉に対して真面目な返答が来たならば、立ち直れないかもしれなかった。

(今の私には、これが限界)

 そして、これからも、相沢への思いに悩み続けるかもしれない。
 だが、いつか自分の中の世界が広がって、相沢が遠くに行ってしまって、存在が自分の中で薄くなったならば、新しい思いに満たされるかもしれない。

(それまでは、無理に諦めなくてもいいのかな)

 相沢の安堵の表情を見て知美も落ち着く。最初の言葉は冗談と思ってもらえたようだ。相沢は何度か深呼吸して自分を落ち着かせると、知美に告げる。

「いいよ。じゃあ、寺坂が勝ったら普通に練習相手になろう」
「はい。それじゃあ、始めますか」
「……大丈夫みたいでよかった」

 相沢の様子の変化に気付いて知美は「え?」と声を漏らす。表情は優しくなり、知美のことを包み込むように見つめている。意図が分からずに見返す知美に、相沢は咳払いをしてから続けた。

「本当のことを言わないで行こうと思ったんだが、やっぱり上手く隠せないわ。バドミントンとは勝手が違うな。本当はさ、元気かどうかちょっと心配だったから誘ったんだよ。一悶着あった後だったから」
「……バドミントン部のこと、ですよね」
「ああ。朝比奈と、やったんだろ? 試合」

 一つ頷く。話しぶりから言って、相沢は何があったのかということと結末を知っているのだろう。情報源はそれこそ、彼女である由奈や同学年の女子の先輩達からだ。

「ほら。俺もアドバイスをした手前、投げっぱなしでっていうのも無責任だろ。だから、寺坂が大丈夫だったのか確かめたかったんだ」
「そう、だったんですか……ありがとうございます」

 相沢の言葉が耳から入って体中に染み込む。OBとOGも含めて人に頼ることを教えてくれた相沢。その後を心配して、誘ってくれたことに知美は嬉しくなった。嘘を突き通せないところもまた愛おしい。自分の中で冷えていた思いが再び暖まっていくのを自覚して頭を振った。このままでは顔に出てしまいそうだった。

「と、とにかく。まずは試合やっちゃいましょ。私がサーブでいいですよね」
「一点取れば勝つ状況で自分からサーブとか……いいよ。シャトルはこっちで用意しているから」
「先輩のほうが激つよなんですから当たり前ですー」

 相沢は知美から離れてシャトルを自分のラケットバッグに向けて取りに行く。背中を見ながら知美は改めて思いを心にしまい込む。

(このままで、いい。きっと腹立ったりもするんだろうけど……それで、いいよね)

 これも一つの決着。すっぱりとケリをつけるのではなく、ケリをつけずに時間に任せる。いつかその決断を修正して、別の答えになるかもしれないが、それはその時のこと。今は関係ない。

「よろしくお願いしますね、先輩」

 聞こえないように相沢に向けて呟く。声音に迷いはない。今日からまた新しく何かが始まるような思いで、知美はハンデ戦の開始を待つ。
 シャトルを持ってきた相沢が、知美に放って渡す。知美はサーブ位置に移動して構え、相沢はレシーブ位置で腰を落とす。

「じゃあ、えーとめんどくさいんで、開始!」
「よろしくお願いします!」

 笑いながら試合を開始する相沢に同じようににこやかに挨拶する知美。
 自分の未来へと繋がるように、シャトルを思い切り打ち上げた。
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