モクジ

● 充電期間  ●

 目の前に座る菊池里香の厳しい視線に晒されて、知美は何故か分からないが背筋に冷や汗が流れ落ちた。
 甘味処『桃華堂』はいつものように多数の高校生や中学生が集まっている。二月の初旬という寒い時期だが、名物のイチゴパフェを食べながら女子が穏やかに話したり、男子が多少煩く話していたりと各テーブルではそれぞれのテーブルトークが繰り広げられていた。
 知美と菊池も部活から帰る途中で立ち寄って、コートを脱いで互いの制服姿を見ながら向かい合っている。店内の一角におさまっている姿は、その他大勢と変わらないはずだった。しかし、相手から来るプレッシャーは知美の心にどうしてか焦燥感を募らせる。まるで試合中のごとく。
 自分には後ろめたいことなど何もないはずなのに、悪いことをしたかように思えてくる。実際には菊池はジャスミンティーを飲んでいる知美を見ているだけなのだが、知美は頼んだイチゴパフェに手を付けずに次の言葉を待っていた。

「小耳にはさんだけど」
「うん」

 ようやく菊池が口を開き、時が動き出す。
 同時に知美はパフェのアイス部分が溶けて流れそうになっているのをスプーンですくい取り、口の中に入れた。会話にワンクッション置く効果もあってか、知美は気分を落ち着かせ、その効果もあってか次の菊池からの言葉にも冷静に返す。

「大場君に何か言われたの?」
「ん? 告白された」
「んっ! げほっ!?」

 聞かれたことに答えると、菊池は口元を左手で押さえて俯いた。驚いて含んだジャスミンティーを吹き出しそうになったのは分かったため、知美はテーブルに置いてあるナプキンを手に取る。だが、菊池は大丈夫だという身振りをしてから深く息を吐き、咳払いを一度してタイミングを整えてから言った。

「どうしてそんなことになったわけ?」
「んー。どうして、なんだろう」

 事の発端はどこだったのかと知美は視線を天井に向けて振り返る。
 他校の翠山中の生徒である大場湊(おおばみなと)とはバドミントンを通してしか接点はない。しかも、試合会場でもほとんど自分の中学の仲間としか一緒にいないため、他校の生徒と話すことなど皆無だ。そんな状況の中の例外として大場と話すようになったのは、自分達の代が中心学年となった二年の九月に行われた市内大会『鹿島杯』が最初だ。それから後の試合では試合会場で会う度に話すようになっていたが、電話番号やメールアドレスも交換しておらず、連絡する手段などなかった。
 今回、告白される場となったのは市内のスポーツセンター。
 同じ学校のバドミントン部の男子部長、竹内元気から、大場が一緒に練習をどうかという誘いがあったという連絡があり、翠山中バドミントン部女子のダブルスもくるということを聞いていたため、軽いノリで参加した。
 そして、練習が終わった後にちょうど全員と離れた時に不意打ち気味に告白されたのだった。

「なんて言われたの? なんて?」
「んー。普通? だよ。気になってる。好きだから、付き合って欲しいって」
「へー、あの大場君がね」

 菊池が名前の前に付ける「あの」という言葉が示すことは知美にも理解できる。大場は知美達の学年でも有名な「天然」少年であり、また美少年だった。先入観もなく道端で見かければ心臓が少し高鳴るほどの『可愛い』容姿に、会話をしている内に彼が纏う雰囲気に落ち着いてくる。落ち着いたところで時々ドキリとさせられる台詞が口から出てくるのだ。
 言動すべてが、当人が全く意識しないまま生まれているところから、女子の人気は高い。同じ中学にはバドミントン部だけではなく非公式なファンクラブが存在するとかしないとか。
 そんな大場が自分の事を好きと言ってくるのは、知美は素直に悪い気はしない。

「でも断っちゃった」
「え、なんで? もったいないじゃない」

 あっさりと断ったと告白する知美に菊池は唖然とする。菊池がそんな表情を見せる意味が分からず、知美は先を続けた。

「だってよく知らないし。ぶっちゃけ、友達かどうかも怪しいでしょ?」
「そりゃそうだけど……付き合ってみて分かるってこともあるでしょ?」
「それは相手に悪いよ」

 よく知らない相手と彼氏彼女になるという選択肢もあるということは頭の中では分かっている。ただ、知美自身はある程度友達づきあいをしていって、相手のことを良く知った上で判断しなければ不誠実だと思っていた。相手の良いところも悪いところも触れていく中で、良いところをずっと見ていたいと思えた時、恋愛感情になる。
 そんな流れを思い浮かべる。

「里香だって。田野と付き合う時って試しにってわけじゃなかったでしょ?」
「んー、試しにってわけじゃないんだけど……やっぱり付き合っていく内に分かることもあるって思ってたよ」
「そんなもんかなぁ」

 知美は納得しない部分もあったが、目の前の親友の表情を見て微笑ましくなって割り切る。
 自分が今の彼氏と付き合うことになった場面を想像してか、菊池は頬を赤く染めていた。知美はダブルスでも、友達としても近い菊池がたまに見せる顔が好きだった。
 友達との付き合いでは見せない、好きな人のことを考える時にだけ見せる顔。
 そんな表情をさせる相手は、やはりある程度時間をかけた関係の中で選びたかった。

「やっぱりまだ相沢先輩のこと気にしてるの?」
「……分かんない。でも、前よりは吹っ切れてる気がするけど」

 初恋の相手との終わっているはずの恋心。
 思いを募らせている間に隣には別の人が収まり、知美の付け入る隙はなくなった。彼女がいるということなど関係ないという意見もあるだろうが、彼女の方も好きな先輩であり、好きな人同士が付き合う間に割り込む気は知美もなかった。
 結果として長い間、恋心がくすぶることになったが、無理に諦めようとしないと決めた時から時間が流れ、最近では以前よりも思い出す回数も減っている。

「相沢先輩のことを抜きにしても。大場君は付き合う対象に入ってないし。だから断ったんだ」

 そこまで話すと知美はようやくイチゴパフェに手が動いた。溶けてグラスの横を落ちていくクリームをスプーンですくい取り、口に運んだ。菊池もジャスミンティーを口に含み、喉に通してほっと息を吐く。知美がイチゴパフェの征服に乗り出したのを見ながら呟いた。

「そんな几帳面なところも好きだけどね。トモは誰か気になる人いないの? 竹内とか」
「なんで竹内?」

 どうしてその人名が出てきたのか理解できずに尋ねる。菊池はそうやって問い返されることが予想外だったようで、先を続けた。

「ん。だって、トモって私の他に竹内にも相沢先輩のこと相談してたでしょ。それに部長の仕事のことでもいろいろ話してたし。今、一番距離が近いのって竹内じゃない?」

 菊池の言葉を反芻して思い浮かべる。知美の交友関係は広いが、特に仲がいいとなると限られてくる。必然的に同じ時間を過ごすことが多い女子バドミントン部の中でも菊池とは一番親しい。男子で言えば、小学校の時に同じ町内バドミントンサークルだった田野や中二の途中から同じ部長職になった竹内が近いだろう。
 それでも、竹内と彼氏彼女になることを想像すると全く思い浮かばなかった。

「竹内も嫌いじゃないし。絶対に誰かと付きあえって三人並べられたられたら、きっと選ぶと思うけど」
「なら、竹内のこと少しは気になってるんじゃない?」
「あんまりドキッとする異性じゃないかなー」

 菊池の返してくるひきつった表情を見ていると、自分がひどいことを言っているなと感じる。やはり心のどこかで相沢と比較をしているのかもしれな。

(仕方ないよね。仕方ないって思うことにしたんだし)

 無理に忘れようとすれば苦しむのだから、忘れるまで相手のことを好きでいよう。そう決めた時から自然と相沢への感情は薄れていった。諦めなければならないと思うほどに思慕が募っていったが、逆に考えれば抜けていった。
 ただ、代わりに他人への恋愛感情も薄れているのかもしれないと思うことがある。

(竹内が私をどう思ってるか知らないけど……今は、彼氏はいらないかな)

 自分の中からこぼれ落ちた感情をまた拾い集めるのには時間がかかるのかもしれない。グラスの中を半分以上食べ終えたところで菊池に向かって言った。自分にも言い聞かせるように。

「今は充電期間なんだよきっと」
「充電?」
「そう。それだけ、先輩を好きだったってことだよ」

 自分の中で新しい恋を見つける気持ちさえも薄れるくらいに。自分よりも恋愛経験が豊富な人や、大人から見れば自分の恋心など幼いものかもしれない。
 でも、今までの自分にとっては一番大きかった。ぽっかりと空いた穴はバドミントンと、他の何かのよって埋まっていっている最中。

「そんなこと言ってると、すぐ学生時代なんて過ぎちゃうよ?」
「里香もなんか大人みたいな事言ってる。でも、後悔は後でするよ」

 知美の言葉にこもった意志に菊池はあっさりと引き下がった。気配を読んで何も言ってこないのはダブルスパートナーとして過ごした時間が長いからだ。知美と菊池の中に蓄積されている時間。
 たった十四年しかない中の、更に少ない期間の中で培った菊池との時間は互いの血肉となっている。知美にとって時間というのは一つの重要なファクターなのだ。

「さ、そろそろ食べちゃって行こうか。明日からも頑張ろ! 目指すは団体戦代表!」
「そうだねぇ。私達も頑張らないと」

 過去から現在までの回想が落ち着くと、残るのは未来への展望。
 二月の中旬から始まる市内四校の代表選考会。先にある、全国規模の団体戦。一年前に第一回大会が開催された学校の垣根を越えた団体戦は無事に第二回を迎え、一年前と同じように代表が選考される。一つ上の先輩達がいた時と比べられることになるため、知美の肩にもプレッシャーがかかる。

「トモ。考え過ぎちゃ――」
「うん。私達は私達だもんね」

 気負いすぎないようにという菊池の言葉も分かっていて問題ないと返す。重荷にはなってもけして潰れない。自分達なりに全力を尽くして、戦うだけ。メンバーは異なっても、去年の団体戦メンバーに負けているとは知美は思っていない。

「さって、行こうか」
「うん」

 菊池もジャスミンティーを飲み終えて、知美もイチゴパフェを食べ終わった。背もたれにかけてあったコートを着てからレシートを持ってレジへと向かい、互いにお金を払ってから桃華堂の扉を開けると、ちらほらと雪が降り始めている光景に出くわす。イチゴパフェを食べたせいか体が震えるが、知美は気にせず外に出た。続けて出た菊池も空を見上げて息を白く吐き出した。

「うわー、積もるかな?」
「本格的になる前に帰ろうか」

 首に巻いたマフラーを少し締めて雪が入り込まないようにしてから二人は歩き出す。積もっている雪に刻む足跡をうつむき加減に見ながら、知美は気にせず歩いていく。徐々に白くなっている世界の中で、知美はふと竹内のことを考えた。
 積み重なった時間が自分の中で大事ならば、竹内との時間は自分の中でどうなっているのか。遠くはない。しかし近いと言われると微妙な距離。菊池が言ってくるように竹内と付き合うと言われる要素はあるのかもしれない。

(そういうのも、後で分かるでしょ)

 頭の中に少しまとまりかけたことも霧散させる。
 恋愛感情か、友情か。
 もう少しはっきりとした気持ちが生まれるまでは、時間がかかりそうだった。
モクジ
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