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● FlyHigh! --- 第11話 ●

 知美は試合で使うユニフォームを着てコートに立っていた。ネットを挟んだ向かいには朝比奈が立っている。格好は、同じように試合の時に着るユニフォームだった。
 ユニフォームを着るように連絡したわけではない。
 ただ、知美にとっては重要な試合であり、気合いを入れるためにユニフォームにしただけのこと。だからこそ、朝比奈がユニフォーム姿で立っていた時は驚いた。
 朝比奈にとっても大事な試合ということなのか、はたまた他の理由か。

(私に気を使ってくれた、とか? まさかね)

 自分でも思ってもいないことを考えて気を紛らわす。
 知美の体は緊張で堅くなっていた。ハンデ戦とはいえ勝てるとは思っていない。それほどまでに朝比奈と自分の差はあると考えている。自分の考え通りに進むのであれば、勝負はおそらく最後の一、二点までもつれ込む。ハンデ戦という舞台に朝比奈を立たせることまでは何とかできた。しかし、この試合に勝つのは自分自身の実力にかかっている。

「もう一度ルールを確認するわね」

 審判を務めるのは多向。わざわざ通常の練習を止めての試合。男子のほうが通常通りの練習を進めているということもあり、外から見れば異様な光景に映るだろうかと知美は考える。

「得点はマイナス15対14。サーブは朝比奈さんから。ゲームは一ゲーム。これでいいわね」
「はい」

 知美と朝比奈が同時に返事をする。それから互いに視線を交わし、それぞれの位置に移動した。

「それでは、えーと……カウントめんどくさいんで始め!」
「お願いします!」

 朝比奈がサーブの姿勢を取り、知美はラケットを上に掲げた。次の瞬間にはショートサーブで前にシャトルがふわりと飛んでくる。ロングサーブだと思っていた知美は前に飛び出して、まずはロブを上げる。それを追っていった朝比奈はハイクリアをクロスで飛ばした。綺麗な軌道を描いて、更にはしっかりと奥まで飛んでいくシャトルに知美は普段よりも大股で、シャトルの真下に向けて飛ぶように移動する。
 真下に移動してからストレートにドロップを打った知美だったが、視線を前に戻した時には朝比奈がシャトルの前に移動していた。ラケットがシャトルを的確にプッシュして綺麗にクロスに決まる。
 知美はシャトルの行方を見送るしかなかった。

「ポイント。マイナスフォーティーンフォーティーン(−14対14)……? だよね?」

 隣に立っていた菊池に聞く多向。その間にシャトルを拾って朝比奈に渡す。
 朝比奈は無言で受け取って次の位置に着き、知美も再びレシーブ位置に立ち、構えた。朝比奈はほぼノータイムで今度はロングサーブでシャトルをしっかりと奥に飛ばす。知美はシャトルを追ってストレートのハイクリアを打った。だが、シャトルはコートの中央から少し進んだところで落ち始め、朝比奈はクロスでスマッシュを放つ。コートをまっぷたつに裂くように放たれたシャトルを追って知美は走るが、届くことなく着弾する様子を見送った。

「ポイント。えーと、マイナスサーティーンフォーティーン(−13対14)」

 少しシャトルを見た後で、シャトルをラケットで拾い、打ち返す。朝比奈は中空でシャトルをラケットで絡め取る。その動作は余裕を持っている。

「一本」

 静かに呟き、サーブ体勢を取る。知美はゆっくりとレシーブ位置に移動して構えた。シャトルの動き。朝比奈の様子をしっかりと見る。放たれたのはロングサーブ。三度繰り返されてもしっかりとシングルスライン上に向けてシャトルは飛んでいく。

(しっかり打ってくるな……凄い)

 対峙して改めて朝比奈の凄さが知美に伝わってくる。
 女子で対角線上にハイクリアをしっかりと返せる選手は少ない。単純な筋力のせいもあるが、コントロールもまた一年生離れしたものだ。自分は対戦することはなかったが、早坂の試合を見ている時と同じような感覚に陥る。
 朝比奈がそこまでの実力を持っているとは思えない。だが、いずれそこまで到達するだろうと想像できた。
 だからこそ、朝比奈はこの浅葉中バドミントン部に必要な存在になる。

(あと、三十点くらい。複線は……十分、張れる)

 知美はストレートのハイクリアを放つ。先ほどと同じように途中で失速し、そこをクロススマッシュで落とされた。同じような展開で点を取られることに周りから落胆の声が届く。

「トモ! もっと頭使って!」

 菊池の声に視線を向けて頷く。またシャトルを拾い、朝比奈へと渡す。その動作までも先ほどと同じ。出来る限り、同じ動作を繰り返す。
 朝比奈も少し不思議そうな顔をして知美を見る。何かを企んでるのかと注意深く見ていると感じて、知美は表情に出さないようにした。

「一本」

 次に打たれたのはショートサーブ。前にきたシャトルをヘアピンで返すと朝比奈は前に詰めてロブを上げた。大股で追って行くも追いつくことができず、知美は仕方がなくバックジャンプしてハイクリアを打った。
 またしてもシャトルは途中で失速してしまい、朝比奈のスマッシュの餌食になった。

「マイナスイレブンフォーティーン(−11対14)」

 コートの周りには既に諦めムードが漂い始めていた。
 これだけ点差があっても朝比奈の勝利は動かないと、一年も二年でさえも思っているようだった。知美はなす術もないという装いでシャトルを返し、レシーブ位置につく。何も考えていないとは朝比奈も思っていないはずだが、知美が何を考えているのかは分からないはずだった。

(何でもするよ)

 知美は特に言葉を発せずにレシーブ体勢を取る。またロングサーブを放たれ、奥へと退けられる。今度はストレートのスマッシュを放ってコート中央に戻るが、朝比奈がドライブ気味のロブをストレートに打ち返し、そちらにまた動かされた。鋭いリターンのために知美は追いつけず、ラケットを差し出してもフレームショットとなってアウトになった。

「ポイント。マイナステンフォーティーン(−10対14)」

 二年がドンマイと知美に向けて声援を送る。知美は一つ頷き笑顔を作った。それから朝比奈に視線を移すと、明らかに自分を蔑んだ色を含んだ瞳。知美はため息を一つついてから言った。

「ストップ」
「やる気あるんですか?」

 朝比奈の怒気を含ませた声が知美に届く。一度レシーブ姿勢を崩してから知美は答えた。

「やる気はあるよ。大丈夫」
「何が大丈夫なんですか。先輩はシングルスに向いていません。単調な攻撃だし、ハイクリアが後ろに届かない。今取った五点と同じように、残り二十五点取りますよ。めんどくさいんで止めま――」
「二十五点も続ける自信がないから言うんでしょ?」

 朝比奈の言葉を遮って、知美は言い放った。それに絶句したのは朝比奈だけではない。周囲で見ていた一年、二年も知美の発言に衝撃を受けているようだった。

(やっぱり、驚かれてる……よね)

 今まで知美が後輩や同じ学年の仲間に対して、神経を逆撫でするような言葉を放ったことはない。常に部員間を調停するような、部員達が部活をスムーズに進められるようにと気を使った発言ばかりしてきた。今のように、あからさまに相手を挑発するということは、一度もなかった。
 誰もが唖然として知美の姿を見ていることが、その証明。
 知美は昨日までの彼女と全く違う。

「五点はなんとかなったけど。残り二十五点分、集中力保つの大変だもんね。ちょっとでも油断したらサービスオーバーだし、そこで更に油断したら私の勝ち。朝比奈さんって実は凄く追い詰められてるんだよ」

 知美が言葉を続けている間、朝比奈は何も話さない。ただ鋭く視線を知美に向けているだけだ。その視線を流して知美は言葉を切った。

「ここで止めたら試合放棄ってことで私の勝ちになるよ。最後までやらないまま、この部に残る? こっちはそれでもいいけど」
「……続けます」

 朝比奈のラケットグリップを握る手が心なしか強まったように知美には思える。その様子を見つつ、知美はラケットを掲げて待ち受ける。

(これで力入ってミスってくれたらラッキーだけど)

 そう簡単には崩れないだろうと知美は予想する。
 実際に、朝比奈はシャトルを打つところになると力は抜けて綺麗な弧を描いたロングサーブでシャトルを運んでいた。知美は打点を低くしてドライブ気味にシャトルをストレートに打つ。追いついた朝比奈はバックハンドでシャトルの勢いを殺し、ネット前に落とした。知美はクロスヘアピンで相手から離れるようにシャトルを打ったが、朝比奈はそれを読んでほぼ同じタイミングで横移動する。

「はっ!」

 朝比奈はクロスで入ってきたシャトルを、更に知美がいる場所と逆方向に打ち、シングルスラインに綺麗に落としていた。

「ポイント。マイナスナインフォーティーン(−9対14)」
『ナイスショット!』

 一年が声が黄色い声援に変わる。知美も驚きを隠しきれなかった。知美がクロスに打ったシャトルはコートの右サイドから中央付近に。朝比奈は更に左サイドへとクロスに打った。ただでさえ左に向かう慣性力が働いているのに更に左に打って、かつ、アウトにしない絶妙な力加減。それを動きながら朝比奈はやってのけた。

「さっきの話で私が怖じ気づくと思いました?」

 ネット越しに朝比奈が話しかけてくる。言葉にも表情にも余裕が含まれ、先ほどあった怒りの感情はなりを潜めている。

「さっきみたいに言ったら私が怒って、力んでミスすると思ってたんですよね? いつもの先輩らしくなくて凄く不自然でした。もう止めるとは言いません。最後までサービスオーバーもさせません」

 朝比奈はシャトルを自ら拾って背を向ける。顔だけ向けて、知美へと吐き捨てた。

「これでもう会話もしません。恥かいてもらいますから」

 朝比奈は歩いていき、サーブ位置に立って構える。その様子を一から見ていたことでまだ知美はレシーブ位置に立っていない。朝比奈は無言で立ち位置に着くようにジェスチャーを送った。
 知美は頷いて場所を移動する。レシーブ位置に構えたところですぐにシャトルが放たれた。ロングサーブで奥をえぐられ、それをハイクリアで返しても奥まで届かず、朝比奈のスマッシュが知美のコートへ突き刺さる。今度はストレートで知美の足下へと。
 次のサーブはショートで知美のフォアハンド側のオンライン。ロブをしっかりと上げて返したが、かすかに芯を外れたのかラインを超えてしまい、アウトになった。

「ポイント。マイナスセブンフォーティーン(−7対14)」

 遂に二十二点差。これまで危ないことなどなく、淡々と朝比奈は得点を重ねていく。知美への応援も、朝比奈への声援も同じことしか言えなくなり、徐々に点差が近づくたびに、逆に人数が少なくなっていく。

「やっ!」

 朝比奈のロブに対してスマッシュを打ち込む。ストレートスマッシュの軌道にラケット面を合わせて補給体勢を取る朝比奈。そこに飛び込むように足音を立てて前に出る。だが、朝比奈は手首を使って腕の軌道よりも急にシャトルを浮かせた。知美が届かない軌道を通るように、ゆっくりと。
 シャトルが知美の頭を越えて得点された光景に、多向を含めた女子全員が感嘆のため息を漏らす。
 タイミングも軌道も申し分ない。
 まさに理想的なショットの一つ。それを目撃したことで全員が朝比奈の力に酔っている。知美の目から見ても、知美が勝つと思っている部員はいないように思えた。

(そう思ってくれてたら、いいんだけど)

 得点を取られていく今、この時。
 それは知美が思い描く通りの展開だった。先ほど驚いたクロスヘアピンも、結局は知美が思っている通り、サービスオーバーもなく点を取られていく。自分が今のままで全力でやっても点を取られ続け、やがては十四対十四となるだろう。
 自分の考えている展開ならば、十二点から十四点の間で最後の勝負になりそうだ。

(このまま行って、最後に勝負をかける。本当、勝とうとするのって、疲れる)

 試合に勝つために思考する。そのために行動を取る。
 相沢にアドバイスを受けてから、半日だけでも知美は今のことを想定して考えた。
 いずれ実践しようとしていたことを多向の行動で早く実行しなければいけなくなった分、必死になって考えたのだ。
 試合に持ち込むための展開。そして、試合中の展開。朝比奈がミスって思った展開よりも早く勝てるというのは捨て、あくまで最後までもつれ込んだ場合を。自分らしからぬ挑発をしたことさえも、全て想定していたことだ。

「ストップ」
「一本!」

 陰りのある声で呟く知美と、強い輝きを持つ朝比奈の声。
 両者の声がそのまま試合展開を表しているように、
 シャトルがまたスマッシュで叩き込まれ、ポイントが加算されていく。朝比奈は知美に話しかけることも、シャトルが決まったことにリアクションを返すこともしなくなっていく。得点することだけに集中すること。それが試合を早く終わらせるための手段と考えているのかもしれない。

「ポイント。マイナスファイブフォーティーン(−5対14)」

 近づいてくる0点。そして、15点。

(あと……二十点分)

 誰にも悟られないように、知美は心の中で呟いた。
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