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● FlyHigh! --- 第08話 ●

 目覚ましの音が鳴っているのが遠くから聞こえてきた。物理的な遠さというよりも、意識の遠さ。それが徐々に聞こえが大きくなってきたところで知美は目を開けた。
 開けた視界に見えたのは見慣れた天井。耳にはすぐ傍でジジジジ……と電子音を鳴らし続ける目覚まし時計の音。耳の痛さを感じてゆっくりと起き上がり、自分にかかってる布団を眺め、それから時計に視線を移す。

「…………」

 ベッドから起きあがってからしばらく時計を見ていた知美だったが、数分過ぎたところで慌てて止める。そこで一つため息をついて知美はベッドから降りた。それから部屋の中央に立ってから知美は周囲をゆっくりと見回す。特に意味がある行動だと自分では思っていなかった。逆に何の意味を持ってこの行動をしているのかを考えていき、視線が一つの場所に止まったところで、ようやく知美は気づいた。

(あ、そうか……。ラケット、戻ってきたんだ)

 視線の先にあるのはラケットバッグ。その中には、昨日スポーツショップに取りに行ったラケットが入っている。
 鹿島杯から一週間。
 最初の二日は風邪で寝込んだため学校を休み、風邪が治ってからは壊れたラケットの代わりを手に入れるのに時間がかかるという理由で、結局、今日まで部活を休んでいた。スポーツショップには気に入ったラケットがなかったため、注文していたのだった。
 そうして迎えた日曜日の朝はいつもよりも、ほんの少しだけ遅い。

「今日からこれで、部活に行ける……か」

 呟いて急に体が重くなったように知美は思う。風邪もラケットも治り、部活に復帰する理由が整ったにも関わらず気乗りしない自分の気持ちを考えて、理由に思い立ったからだ。

「気まずいけど行くしかないよね」

 良く思われたいという浅ましい気持ちに加えて、鹿島杯での成績。
 朝比奈や一年男子の遊佐など、自分達よりもいい成績を取るような選手が出てきた。自分の代の、なにより自分のふがいなさを痛感してこれからどう後輩に接したらいいか分からず、部活へ行く気がなくなっていたのだ。インターミドルが終わってから漠然と感じていた部活の居心地の悪さ。自分が上で後輩達を引っ張っていかなければならないという現実。今までは「なんとなく」で過ぎていたことが現実味を帯びて知美へとのしかかる。

「知美ー! 起きたの? 朝御飯食べちゃいなさいー」
「はーい」

 母親の声に答えて知美はひとまずパジャマを脱ぎ、Tシャツにジャージという簡単な服装に着替えた。どんな気持ちでも、これ以上部活を休むと復帰する気まずさが大きくなってくる。そこは何とかなるだろう、と強引に思って知美は朝食を食べに降りていった。


 * * *


 知美が気まずさを振り払って体育館に顔を出したのは十一時五十五分。部活が始まる五分前だった。更衣室に先に寄ったが、いつも他の部員は十五分前にネットを張るなど準備を始めているため、この時間に更衣室にいるのは元から遅刻する予定だった者だけだ。知美は誰もいないことに安堵して私服からTシャツとジャージに着替えて早足で体育館へと向かった。扉を開けて中に入ると既に見知った顔がちらほらといる。そこで知美は違和感を覚えた。

(あれ……人、少ない?)

 二年女子は自分も含めて全員いた。男子も一年と二年はそろっており、先に柔軟体操を二人一組で実施している。だが、女子の一年は明らかに少なかった。
 いつも四月に五十人から、多ければ百人くらい入るバドミントン部は、そこからインターミドルが始まる前にはイメージとギャップのある激しさのために一桁に落ち着く。今年は例年よりも多少多く、朝比奈を含めて十人残っていた。
 だからこそ、現在は三人しかいないことで違和感を強めたのだ。

「トモ。復帰したんだ」
「里香……一年、休み多いね」

 体育館のステージに荷物を下ろして眺めていた知美の所へ、菊池がやってくる。質問すると菊池は顔を曇らせた。何か嫌なことがあるのかと身構えた知美に、陰鬱な声で菊池は言った。

「鹿島杯の後から、一年の出席率は悪くなってるんだ」
「毎回こんな感じってこと?」
「うん。あれから部活は三回あったけど、三回とも来る人はバラバラ。なんか示し合わせて来る人を決めてるみたいに。朝比奈さんはずっと休んでる。鹿島杯で右足首痛めたから安静にするって言ってるんだけど……」

 朝比奈のことを聞いて、知美は春先のことを思い出す。入部当初から実力を示していた朝比奈は間違いなく一年目からインターミドルの代表になると思っていた。実質、当時の三年生で部内二位だったシングルス選手にも勝ち、出場する予定だった。だが、直前に右足首を痛めてしまい、見送った。
 今回も同じ箇所なのかと知美は不安になる。だが、知美の顔を見て考えていることを悟ったのか、菊池が頭を振って知美に言う。

「朝比奈さんのこと心配してるみたいだけど……たぶん、ずる休みだよ」
「え?」

 考えていて自然と下がっていた顔を上げて菊池を見ると、表情が暗かった。その意味を問う前に菊池が口を開くのが早かった。

「恵里奈がね。部活終わった後で漫画探しに総合体育館のほうの本屋まで行ったんだって。このあたりになくて。そしたら、体育館から朝比奈さんと一年数人みたいな子達が出てきたっていうんだ」
「……みたいなってことは」
「うん。遠目だったから分からなかったみたいだけど、似てたって」
「部活サボって、体育館で練習してたってことかな……」

 学年別大会も行われた総合体育館は、市内で最も大きい体育館だ。スポーツセンターを含めた市民体育館がいくつか市内に点在する。
 ほとんどの体育館は知美達の通う中学に近い場所にある。唯一、総合体育館はJRの路線が通る線路の地下を通るトンネルを越えた場所にあり、中学に通う平日ではまず行くところではない。
 同じ代の仲間の目撃証言。信憑性は薄くても疑う要因にはなる。現に、一年はローテーションしているように休んでいて、朝比奈はいない。学校の近くではなく、遠くにあって部活をやっている時間と合わせたならば、そう簡単にサボりはバレない。

「さすがにちゃんとした証拠ないから先生には言ってないけど……そろそろ不審に思うかもしれないね」

 菊池はそう言って離れていく。その後に続こうと踏み出そうとした時に、背後から声がかけられた。振り向くと多向が白いTシャツとジャージ姿で立っている。

「風邪やらラケットやら治った?」
「はい。練習休んでしまってすみませんでした」
「今日からしっかりね。試合の後の練習が重要だって庄司先生も言ってたし……ところで一年女子が少ないみたいだけど理由知ってる?」

 菊池との会話を聞いていたのかというタイミングで質問してくる多向に、知美は何とか表情を保って答えた。

「いいえ……練習を休む届けは、来てるんですよね?」
「ええ。みんないろいろ来てる。風邪とか、宿題とか。家の掃除の手伝いとか、家族旅行とか」

 つらつらと今日休んだ人数分の理由をあげていく多向。そして最後の理由を言い終わってから小さく言った。

「まるで示し合わせてるみたいよね」

 言葉が知美の心に突き刺さる。疑いを持ってしまえば、いくらでも怪しめる。練習を一度に休むこともその理由が全て違っているのも、疑いを持って見れば怪しいことこの上ない。むしろ分かりやすすぎる。

「本当に知らないよね?」
「知りません。さすがに気になるんで私も直接聞いてみます」
「頼んだわよ。部長らしくね」

 知美はこれ以上ごまかしきれないと会話を切り上げて多向から離れた。最後の『部長らしく』という言葉が心を抉ったが、ちょうど練習も始まるタイミングであったため、両手を上で叩いて皆の注目を集めた。

「部活はじめまーす!」
「始めるよー!」

 続いて菊池も部員達を収集するのに協力する。そのまま部活が開始された。知美は指示を出しながら考える。

(今日、部活終わったら体育館向かってみるかな)

 大西や菊池が正しいなら、今日も今の時間帯に総合体育館で練習しているはずだ。
 練習後ならば体育館までは行ける。そう考えて、知美はひとまず部活に集中した。


 * * *


「ねー、トモ。本当に行くの?」
「ごめんね。付き合わせちゃって」

 知美は自転車をゆっくり漕ぎながら後ろについて来る菊池に謝る。部活終了後、掃除を他部員に任せて知美は菊池と一緒に先に帰っていた。部活の合間にすでに総合体育館に向かうことと、ついてきてほしいことを伝えた。菊池は渋い顔をしたが、他の部員には内緒にするということで了解した。
 つい先日までは明るく涼しかった夕方も、秋になって暗さと寒さを増していく。できるだけ早く移動して、結果を見て帰ろうと、知美も菊池も先を急いでいた。

「本当だった場合、他の部員に知られてると困るかもしれないでしょ」
「そうだよね……」

 朝比奈達一年が部活をサボる。それはきっと自分のせいだと知美は思っていた。部活にきても意味はないと、上の年目が思わせたから一年は休んでいる。それは部長である自分の責任だと。
 知美のその思いに拍車をかけているのは、鹿島杯での大敗。
 学年別で勝った相手に対して今回はボロボロにされた。全く歯が立つことなく、自分達の全てを否定されたような気持ちにもなった。
 逆に朝比奈は一年で、初の公式戦だというのに優勝。男子も、遊佐修平がシングルスで全道レベルの実力者相手にいい勝負をした。エースダブルスの竹内・田野も学年別と同様に二位。一位は、その時三位だったダブルス。
 客観的に見て、浅葉中二年は一学年上下よりも実力は劣っている。一つ上は全国まで体験したようなプレイヤーがいて、一つ下の後輩達も今後を期待させる成績を残している。

(私が優勝できてたら、まだ変わってたのかな……)

 自転車を進めることで起こる風を受けながら考える。時は逆さまには流れないし、もし、ということはない。それでも知美は「あの時」を考えてしまう。
 思考の海に沈みそうになったその時、後ろから慌てた声がかかった。

「トモ!」
「え……あっ!」

 危うく赤信号のままの道を渡ろうとして知美は慌ててブレーキをかけた。目の前をワゴン車が通り過ぎていき、知美は後ろにのけぞる。あわや交通事故というところを回避できてほっとした知美は、菊池の方を向いて感謝の言葉を伝えようとした。
 その時、視界に映った光景に慌てて視線を戻す。
 横断歩道の向こう側。そこには、朝比奈を中心にして、部活を休んだ一年生が全員立っていた。全員、知美と菊池の存在に気づいて慌てて自転車にまたがり、逆方向へと去っていく。知美も菊池もその様子を呆然と見守っていた。

(本当、だった……)

 そう思って、知美は自分が心のどこかでは嘘だと思いたかったのだと知った。
 自分がふがいないとしても、部活にはサボらずに来てほしい。
 自分がふがいないならば、そんな自分を越えていけばいい。

(いや、違うよ)

 自分のふがいなさとか、それでさえもない。
 単純に大西の見間違えだと信じたかったのだ。部長して部をまとめなければいけないのに、後輩がサボるということは、全く部を統率できていない。部長失格だという烙印を押されているのと同じ。
 認めたくなかった現実を、知美は目の前に叩きつけられたのだ。
 誰もが自分を部長と見ていない。信頼していない。
 そう、自分が思っているだけという逃げ道も、今、失われた。
 信号が青になっても、知美も菊池も動けなかった。横断歩道の先からは、朝比奈だけが自転車を押して近づいてくる。他の一年はもう違う方向へと逃げていた。
 知美の傍に来た朝比奈は頭を一回下げただけで通り過ぎていく。それを見た菊池は一気に顔を怒りに染めて怒鳴りつけた。

「朝比奈さん! どういうつもりなの! 足を痛めて休んでるんじゃなかったの!」

 菊池の怒号が響き渡る。立ち止まり、菊池の方を向いて朝比奈は淡々と言った。

「足は怪我していません。部活を休む為に言いました」

 全く悪びれず、自分のしていることは正しいという朝比奈の態度に菊池は更に怒りをぶつけようと息を吸う。

「待って」

 知美はそんな菊池を腕を伸ばして止めた。菊池も、そして朝比奈も驚いた顔で知美を見る。朝比奈のほうは微かに驚いていることが分かる程度だったが。

「朝比奈さん。どうして部活を休んだの?」
「部活に行っても、強くなれないからです」

 知美の問いかけにあっさりと答える朝比奈。
 自分が進む道を、迷うことなく突き進む。知美は向かい合った朝比奈の瞳に、強い意志の光を見た。
 それが、バドミントン部としてどうか、ということではない。
 ただ自分の信じていることを達成するために、手段を選ばず、まっすぐに進んでいる。その強さに、知美は惹かれている自分を自覚する。
 人に誉められたいということや、皆に嫌われたくないということで、部長として引っ張るといっても強く引くこともできず、迷ってばかりの自分と対比すると、惹かれると同時に、彼女の前に立つことは醜いとさえ思った。
 声が震えないようにすることに必死になったかいがあり、低く静かな声で会話を続ける。

「……他の一年も同じ?」
「私は一緒にとは言っていませんが、勝手について来たんです。私も一人で練習だと内容が限られますから、助かってます」
「そう。分かった」

 知美は言葉を切り、菊池を制していた手を下ろす。それから自転車に跨って元来た道を戻っていく。それは朝比奈も向かう方向だったが、彼女は知美と、知美を追っていく菊池が自転車を走らせていくのを黙って見送っていた。
 そのまましばらく自転車を走らせていった知美は急に横道に入っていき、人気が少ない場所まで出るとようやく自転車を漕ぐのを止めた。

「トモ。大丈夫? てか、こんなところ危ないから表通りに出よ?」

 菊池が心配して知美の肩に手をかける。知美は体を震わせて途切れ途切れに菊池へと謝った。

「ごめ……ん……ね……ごめん……ね」
「何、謝ってるの? トモは何も悪くないよ」
「私が悪いよ。私は、部長失格だね」

 それだけ言って知美は自転車に乗ってペダルを漕ぎだした。慌てて菊池も後を追おうとするが、知美が少しだけ大きな声を出して制した。

「ごめん! 今日はもう、一人で帰るね!」

 菊池の返答を待たずに知美は自転車を加速させていき、離れていった。しばらくして自分の家の傍につくと速度を緩める。そのまま堪えていたものも緩んだのか、顔が崩れた。

「うぅ……ううう……」

 涙が溢れるのを止められず、知美はしばらく自転車を止めて泣いていた。
『私は、部長失格だね』
 自分で言ったその言葉が、深く知美の心を傷つけていた。
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