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● FlyHigh! --- 第06話 ●

「ポイント。フィフティーンスリー(15対3)。チェンジエンド」

 審判の声を背にコートを出た知美はラケットバッグと一緒に置いておいたタオルに顔を埋めた。荒れる呼吸をゆっくりと正常に戻すことで一緒に思考も正常に戻そうという考え。その甲斐あって、混乱していた頭の中も落ち着いてきていた。

(まさか……こんなに差があるなんて……)

 落ち着いたことで見えてくるモノ。内から陰鬱な感情がこみ上げてくる。涙と嗚咽が出そうになるのを何とか押さえて、知美は顔を思い切り拭いた。柔らかいタオルでも摩擦で痛みは出たが、その痛みを気付けとして、頭を切り替えた。
 まずは次のゲームのためにどうするかを考えないといけない、と思考の方向を決める。

(思った以上に強かった……それだけよ。学年別大会で勝ったのは自分でもまぐれだと思ってたし。考えられないことじゃない……はず。ラリーをできてないわけじゃない。でも、大事なところで全部競り負けただけだ)

 点差に反して試合時間は長い。平均的な試合時間経過と照らし合わせると、すでに二ゲーム目の中盤に入っている頃だ。知美と菊池はそれだけ長い間ラリーを繰り広げたことになる。そして、そのラリーの最後をほぼ全て相手に奪われた。完全に力負けしているのは分かっている。だからこそ何とかしなければ。まだ、知美の心は切れていない。

「よし! まずはストップ!」

 知美は隣で意気消沈している菊池の背中を軽くラケットで叩いた。それに驚いて「ひっ」と悲鳴を上げてしまう菊池に笑いかける。

「まだまだ。がんばろ。てか、いつもは私が落ち込む役目でしょ」

 試合当日までは悩んで落ち込むのが知美で、それを慰めるのが菊池の役回りだった。しかし、今は菊池のほうがショックを受けて茫然自失としている。それに違和感があって知美は尋ねた。

「どうしたの? 試合始まってから変だよ?」
「……ぜんぜん勝てる気がしないんだ。あの二人に。どうしたらいいんだろ」
「一点ずつ、取っていくしか……ないよ」

 菊池の言葉に知美はアドバイスしようが無く、以前、先輩に言われたことを話してみた。もう引退した、尊敬する先輩が言っていたこと。その積み重ねの上に勝利がある。

「一点ずつとることに集中していったら、十五点で一ゲームとれるよ」
「それは……そうなんだけど」

 知美が更に言おうとしたところで、審判が次のゲームの開始を告げた。慌ててコートに戻るとネットを挟んで目の前には今北の姿。顔は向けなかったが菊池が怯える気配が知美にも伝わってきた。

(里香は単純に今北と今村のダブルスを怖がってる。強いって思ってる。じゃあ私は……?)

 ここに来て思考がまた乱れる。菊池よりも焦燥していないのは、自分に相手のプレッシャーが向いていないだけのはず。そのはずなのに、何か自分の中で歯車が合わない。自分の向き合っている問題の本質が、実は全く別の方向にあるのではないかという感覚。
 追いつめられている今、この時。知美は現状から逃げているだけだと強引に自分に纏わりつく気配を振り払う。

(どっちにしろ。里香が怖がってるなら私が何とかしないと。勝ちたいって思いは同じはずだし)

「セカンドゲーム。ラブオールプレイ」
「お願いします!」

 四人が同時に叫び、今北がすぐにサーブ姿勢に入る。知美もレシーブ体勢を整えて前後どちらに打たれても対応できるようにした。
 今北がふわりと浮かぶようなロングサーブを打って、知美は後ろに体を仰け反らせながら飛ぶ。他の女子ならエースを決められそうなシャトルだが、身長が低い知美にとっては力むとネットにぶつけてしまう可能性の方が高かった。実際、ファーストゲーム時に何度か同じ状況に陥ったがチャンス球しか返すことができず、点を取られてきた。だからこそ、知美は無理せず遠くへ打つ。

(まずは相手コートに返す。それからなら……まだ、なんとかな――)

 なんとかなる。そう思った矢先にスマッシュでシャトルが目の前に突き刺さった。視線を前に向けると今村がラケットを振り切っている。スマッシュが決まったことに声を上げて今北とハイタッチを交わした。
 全く反応できなかった。反撃のために攻めようとしたところでの失点。今村のシャトルを打ち込んでくるタイミングは完ぺきだった。

(やっぱり、勝てない、の?)

 自分は活路を開こうとしているのに、相手からの攻撃は更に勢いを増している。体が温まってきたのか他の要因か。間違いなく今村のスマッシュはファーストゲームよりも速い。知美は弱気を頭を振って無くし、ストップと言った。

「一本!」

 知美の言葉に力がなくなったことに気づいたように、今北は声を更に高くして菊池へとサーブ体勢をとる。菊池も「ストップ!」と大きく張り上げて対抗するが、気合いを乗せきれないのは知美にも分かった。
 今北はショートサーブで菊池のラケット側――コート中央のサービスライン上に向けてシャトルを打つ。元々アウトになるという選択肢を捨てたのだろう。菊池は一気に前に踏み込んでシャトルを捕らえた。ネット前に近くて強く叩けなかったものの、今北の守備範囲を抜けてコートへと落ちていく。それを今村がロブを上げて返し、菊池が前で知美が後ろというトップアンドバックの陣形になった。

(ここでいつもなら……前に行く)

 知美は今までの攻めを出来るだけ思いだす。そして、シャトルを打つ限界点に達した時、ラケットを思い切り振り抜いた。

「里香! そのまま!」

 いつもならすぐに後ろに下がるため、大声で菊池をその場に縫いつけてからスマッシュを放つ。菊池も体が硬直したがその場に止まり、知美のスマッシュはドライブ気味に今村のバックハンドへと飛んでいく。
 今回で対戦は二回目。
 更に、今まで試合を分析されていたとしてもやったことがない初めての攻め。
 だが、今村はバックハンドでドライブを返し、また知美のところにシャトルが届く。知美は再び攻めようと目線を相手二人に向け、右側が空いていることに気づいた。

(あそこだ!)

 クロスドライブで自分のコートを切り裂いていく。菊池の体によって死角となり、タイミングもちょうど良いように知美には思えた。
 シャトルが菊池の背中に当たってしまうまでは。
 シャトルがぶつかった菊池は驚いて知美を見る。その視線は知美を責めているように思ってしまう。今の自分を見て、部の仲間達はどう思っているのだろうと、思ってしまう。
 すかさず謝って、菊池がシャトルを拾う前に素早く拾って今北へと打って渡した。

「ごめんね……」
「ううん。トモも何とかしようとしてるって分かるから。私も、何とかしてみる」

 菊池は弱々しく笑い、知美を宥める。
 ラケットを脇に挟んで両頬を軽く張る。乾いた音とともに涙を滲ませて、菊池は知美へと笑った。

「ごめん。もう少し、しっかりする」
「……うん。まだまだこれから!」

 知美は自分を鼓舞するように気合いを入れる。得点は2対0と相手の連続ポイント。しかし、まだ序盤。焦る段階ではないと、知美も気を持ち直す。
 各自レシーブ位置について、今北のサーブを待ち受ける。

「ストップ!」
「一本!」

 今北の声に被せるように叫ぶ知美。シャトルに全神経を集中して、少しでも速くシャトルを打ち落とす。何とか相手にシャトルを下方向に打たせないように打ち回すことが出来れば、自分達に十分勝機はある。
 今北は再びロングサーブで知美を仰け反らせる。知美は今北達を見たままで後ろに飛び、ラケットを振り切った。シャトルはそこまで速くはないがネットを越えて行く。越えた瞬間にそのまま前に残った今北がプッシュでシャトルを打ち返した。沈むシャトルを菊池がすくいあげて横に広がる。そして今村がスマッシュをコートの中央へと打ち込んだ。

「やっ!」

 鋭さを増すスマッシュが知美と菊池の間を抜いて突き刺さった。何とか反撃をと考えていた矢先の更なる失点。サイドに広がっての防御態勢は十分取れるはずだった。しかしそこを攻められてしまったことは二人の心にひびを入れるのに十分だった。
 ポイントは3対0で負けている。どう考えても負けるのではないか。そんな闇に飲まれそうになる。その闇を吹っ切るように頭を振って視線を一度今北達から客席へと向けた。
 浅葉中の面々が心配そうに知美達を見つめる中、そこから少し離れたところに朝比奈が立っていた。

(朝比奈……さん……)

 知美達を見る瞳には、なにも感情が写っていないように知美には思えた。本来ならば距離が遠すぎて瞳まで見えることはない。しかし何故か知美は朝比奈の顔がはっきり見えていた。

「浅葉中! 試合を中断しないように!」
「は、はい!」

 体感以上に意識を試合から反らしていたと、知美は慌ててレシーブ位置につく。次は菊池に向けてのサーブ。今北がどんなシャトルを打ってくるのか。
 考えても無駄と頭の中で声がする。

(そんなことない。諦めずに、最後まで考えないと……)

 考えても変わらない。
 考えてどうにかなるのは、実力があるものだけ。
 結局は、個人の、ダブルスの実力にかかってくる。

(そんな、こと……)

 頭の中に言葉が乱舞する。どれもマイナス思考の言葉。このままずるずると破れさるしかないという言葉。ほんの数分前までは勝とうとして菊池も自分も気合いが入っていたはずなのに、と知美は自分の変化に戸惑いを隠せない。
 その間にシャトルはサーブで菊池の下へと運ばれる。ショートサーブがネットを越えたあたりで菊池はラケットを立ててプッシュしようとしたが、誤ってネットにかけてしまった。

「どんまーい!」

 客席から部活の仲間達の声が響く。知美も菊池に対して「どんまい」と小さく呟いた。菊池も歪んだ笑みを見せて頷く。ぎりぎりでもなお戦えているのは、まだ諦めていない部分があるからだ。

(どうしよう……どうしよう……どうしたら、いいの?)

 何とかしようと思っても、脳裏に浮かぶのは混乱する自分の言葉。そして、朝比奈の顔。自分達を蔑んでいる顔が鮮明に浮かび上がる。それで体に悪寒が走る。
 サーブを受けようとサービスラインの傍に立ち、ラケットを構える。今北はゆっくりと構えて、一瞬だけ力を込めて動かしてロングサーブを放った。知美はシャトルを追ってハイクリアを打つ。先ほど打てたスマッシュが打てず、ロブが上がった時点で既に移動を終えていた今村が振りかぶり、スマッシュを放った。

「やっ!」

 自分のところへストレートに来たシャトルをバックハンドで打ち返す。ドライブ気味に返せば今北にインターセプトされるかもしれない。その怖さにロブを上げた知美は、腰を落として今村の動きを注視する。再びスマッシュを打ってきても、ドロップでもハイクリアでも。まずは取って返さなければいけないという気持ち。
 知美の中の絶望がほんの少しだけ陰る。
 今村の次の攻撃はクロスのドロップ。逆サイドの前に詰めたのは菊池。無理せずに上げれば、まだラリーは続く。
 だが、菊池はラケットをシャトルへと伸ばしても、高く打ち上げることが出来ず、ただのヘアピンとなる。そこに来ていた今北がそのシャトルを器用に押し出した。シャトルは菊池の傍を抜けて知美達のコートへ落ちていき、知美は何とか反応してシャトルを打とうとラケットを差し出したが、ちょっとの差で届かずにシャトルはコートへと落ちた。ほぼ同時にラケットもコートに強く打ちつけてしまい、鈍い音が響く。

「あ……」

 知美は慌ててラケットを引き戻し、ラケットヘッドを確認する。ヘッドの一部、先端に近い部分のフレームにひびが入っていた。
 長らく、小学校から使っていたラケット。さして大事に使っていたわけでもなく、練習中も何度もラケット同士ぶつかったりコートにぶつけたりとしてきた。だから壊れること自体は知美もさして気にはしない。
 気になっている点は、このタイミングで壊れたこと。
 まるで自分の今までがすべて否定されたかのように感じてしまうのを、知美は止められない。

(こんなの……偶然だし。そんなことに結びつける必要なんて……ないんだ……ないのに……)

 審判に言ってラケットを取り替える。ラケットバッグの中にあったスペアの一本を取り出して軽く振る。スマッシュが苦手ということで少し重めのヘッドで威力を増そうと考えて買ったものだ。
 結局、自分にはスマッシュで押すようなスタイルは無理ということで、今まで通りのコントロール重視のスタイルに決めて、ラケットも元から使っていたものに戻した。
 今はラケットの換えはこれしかない。

「トモ」

 知美を心配する声音。聞こえてきた名前を呼ぶ声に知美は振り返って頷く。大丈夫だと伝えるために。

「さ、ストップ」

 知美はそう言ってレシーブ位置に戻る。だが、前を見た時、今村と今北がやけに大きく見えていた。同じ学年でそこまで身長が変わらないにも関わらず。

(……負けたく、ないよ)

 構えたラケットが重く、いつもよりもラケットヘッドが下がる。その重みが、心に重くのしかかる気持ちのように知美には思えてしまう。もう、不快な、マイナスの思考をすることを自分でも制御できない。

「ストップ!」

 今の自分から逃げるためだけに叫びに近い声を上げる。
 しかしそれも微かな抵抗。
 大きな川の流れの中を漂う枯れ木のように無力だった。
 今村達の力に晒されて試合への意識が逃げていく中で、知美は一つの考えに至る。
 なぜ負けるのが嫌なのか。
 今村と今北に負けたくないという気持ちの裏に、何があったのか。
 今も必死に知美達を応援する仲間達の声が聞こえてきているが、もうそちらに視線を向けるのも辛かった。

(そうか、私……二人に負けるよりも部の皆に駄目だって思われるのが、嫌、だったんだ……)

 部の皆と考えつつも、脳裏に浮かんできたのは一人の女子。
 自分達……知美を、何の感情も持たない視線を持つ女子の顔が目の前に広がって、知美はシャトルを見失った。
 そして――

「ポイント。フィフティーンワン(15対1)。マッチウォンバイ、今村、今北!」
「やったー!」
「しゃー!」

 最後のスマッシュを取れずにラケットを伸ばしたまま固まる知美。ネットを挟んだ向かいで、今村と今北が歓喜の声を上げる。

 鹿島杯女子ダブルス決勝。
 寺坂・菊池ペア、2ー0で敗北。
 誰もの想像を超える大敗で、二人の大会は準優勝という結果で幕を閉じた。
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