誰も信じる事ができなかった。

 誰もが自分を、はれ物に触るかのように扱う。

 けして俺自体がすぐれているわけじゃない。

 ただ名家の生まれだというだけで、人は俺から一歩引いていた。

 俺は友達と呼べる人がいなかった。

 親の愛もどこか偽りで、孤独だった。

 何度も死のうかと思った。

 しかしその勇気さえもなかった。

 そんな時、俺は『彼』に出会った――――――







『誓い――Friend――』







 世界を統べる王の都『ラーグラン』

 住む人々は王族、貴族、庶民と別れてはいる。

 王族だけは世襲制だが、その名前は昔から続いていると言った意味しか持ってはいない。

 他の役職――将軍職などの特別な仕事――は実力があればどんな階級の人でもなれる事になっている。

 しかし昔からの習慣はそう簡単になくなったりはしない。

 一部では貴族である事を利用して重要な役職についたり、貴族に取り入ったりと醜悪な部分もあった。

 レイ・ツヴァルツァンドはまだ年端も行かない段階で、その醜悪さを嫌っていた。

 貴族に生まれただけで特別扱いされるのは嫌だった。

 実際、彼は生まれてからずっと召使い達に世話を焼かれてきた。

 そしてそれを嫌った。

 自分が心を開いて遊ぼうとしても召使達はそれを拒む。

 無理もない話だ。

 貴族の子供と言うのは召使達にとっては生きた『貴重品』だ。

 一緒に遊ぶような次元の相手ではなかったのだ。

 召使達は極力レイの機嫌を損ねぬよう、危険が及ばないように神経を使った。

 その行為がレイの心を犯している事に気付きもせず。

『庶民の学校に行きたい』

 それはレイのささやかな抵抗だった。

 自分は特別な人間じゃなく、ただの人間だと言う事を伝えるための。

 最初は両親共に反対したが、レイは三日間の絶食をとる事で学校に通うのを許された。

 両親もすぐに根を上げるだろうと思っていたのだろう。

 そしてそれはレイも理解していた。

(絶対参ったとは言わない)

 まだ歳が二桁にも達していない少年は幼心にそう誓った。

 そうして通い始めた庶民の学校は――レイには苦しい事ばかりだった。

 子供はとにかく自分と異質な物に敏感だ。

 自分達とは違う階級の子供。

 レイは格好のターゲットだったのだ。

 毎日のように繰り返される執拗な嫌がらせ。

 しかしレイは耐えた。

 一度教師に相談に行った時、教師は言った。

『レイ君……なんとかするから……君のお父様によろしく言っておいてくれるかい?』

 教師はレイが幼いから分からないだろうと思っていたのだろうが、レイは理解していた。

 教師はレイのために助けるのではなく、自分の保身のために助けようと言うのだ。

 子供達が自分を虐めるのは『貴族の息子』だから。

 教師が庇おうとするのは『貴族の息子』だから。

 自分自身を見てくれる人は誰もいない。

 それはとても悲しい事だった。

 日に日にレイは自分の感情を押し殺していく。

 何をされても、何も反応する事もない。

 やがて子供達は虐めに飽きて去っていった。

 教師も庇う必要がなくなったのでレイに構わなくなった。

 そして――――レイは一人になった。





 木々のざわめきが心地いい。

 学校から少し離れた場所につい最近森ができた。

 王都の環境をよくしようとして植林していたからだ。

 僕はこの頃いつも、学校が終わるとここにくる。

 他に誰もこないので気楽な気分になれるからだ。

「君、暗いね」

 その男の子は突然言ってきた。

 初対面なのにもかかわらず、無遠慮にそう言ってきたのだ。

「……」

 僕は最初は黙っていた。

 僕の聖域に踏み込んできた初対面の人にどう接していいか分からなかったからだ。

「いきなりそれは酷くないか?」

 とりあえずそう言い返す。

 そもそも読書をしていたのに、それを妨害して言う台詞ではけしてない。

「悪い悪い。僕は思った事をすぐ口にしてしまうんだよ」

 屈託無く笑う。その顔は人に不快感を何故か抱かせなかった。

 肩まである金髪に美形に入る顔。

 いかにも貴族な顔だ。

「君は……貴族なの?」

 僕は本を置いて訪ねてみた。すると彼は首を横に振る。

「いいや。祖母が貴族崩れでね。庶民と貴族の真中みたいなものかな」

 彼は僕の横に腰を降ろす。

 何故か僕は動けなかった。

 そう言えばこうやって人と話すのもずいぶん久しぶりな気がする。

「僕はアルヴェリアス・ミラルカス。君は?」

「僕は……レイ。レイ・ツヴァルツァンド」

 僕はこの時失敗したと思った。

 ツヴァルツァンド家は王家の親戚筋でかなりの地位にある。

 僕はよく分からないけど王から大切なものの管理を任されてるらしい。

 それだから虐められたり、取り入られようとする人に付きまとわれるのは分かってる。

 この子もそういう風になってしまうのだろうか?

 それが何故かとても悲しく思えた。

 しかし彼は違った。

「へぇ、凄いね。ところで何かあったのかい? 元気ないけど」

 彼は――僕がツヴァルツァンド家の人間と知っても何も変わらず話し掛けてきた。

「……君は……」

 僕は何も言えなかった。

 次に言う言葉が見つからない。

「ああ、そうか。王家の親戚筋だからいろいろ苦労があったんだね。大変そうだな」

「……そうだよ。凄い大変なんだ」

 僕は自然に話し始めていた。

「僕自体が悪いわけじゃないのにさ、皆僕が貴族の息子と言うだけでねちねちと嫌がらせをして来るんだ。

 教師も父になんとか取り入られようとして媚びへつらうし。

 全く。何処に行っても僕は高価な人形扱いだよ。人間として生きれないなら……死にたいな」

 今まで言えなかった、心に押し殺したストレスが一気に吐き出される。

 アルヴェリアスはそれを相づちを打ちながら聞いていた。

 やがて僕の話が終わると腰を払って立ち上がる。

「人が生きるのはその目的を探すためだ。レイはまだそれを見つけるほど生きていないよ」

 アルヴェリアスの声に確かな気持ちが含まれていた。

 それは怒りだった。

「死に逃げるなよ。死んでも何も変わらないよ」

 アルヴェリアスが手を僕に手を伸ばす。

「目的、僕と一緒に探そうよ。僕が、君と一緒にいるよ」

 その瞬間、世界が開けた気がした。

 深い穴の底に閉じ込められていた僕を救い出してくれる糸。

 そんなイメージが頭をよぎる。

「僕で……いいの?」

「君じゃなきゃ駄目さ」

「……ありがとう!」

 僕はアルヴェリアスの手を取った。

 これが僕とアルヴェリアスとの邂逅だった。





 アルヴェリアスとの出会いは俺にとっては一種の転機だった。

 後で知ったが、アルヴェリアスはどうやら同じ学校の違う教室だったらしい。

 学校中の注目を集める天才児と言われていた。

 俺は自分の事で精一杯だったからその事に気付かなかった。

 その天才ぶりを聞いてみると彼は悪びれもなく言う。

「天才なんかじゃないさ。生まれてくる人間のほんの一握りしかそんな人はいない。

 僕は落ちこぼれ貴族の息子って馬鹿にされた事があったからそんな文句を弾き飛ばす力を

 手に入れようと思った。だからいろいろ頑張ったんだよ」

 アルヴェリアスは全てにおいて周りと一ランク違っていた。

 知能、身体能力はもちろんの事。性格も良かった。

「これは生まれつきだよ」

 そう言って笑う。

 俺は知った。

 人間の能力はいくらでも後から手に入れることができると言う事を――――。





「俺は《リヴォルケイン》に入る」

 共に18歳。

 一般教養の過程を終了し、俺達は王都の役職につく時期に来た。

「王立治安騎士団か。アルヴェリアスならもっと上の役職につけるだろうに」

 俺は最初から――正確にはアルヴェリアスと出会ってから――《リヴォルケイン》に

入る事を決めていた。

 今だに世襲制が見え隠れする王都にあって唯一実力主義なのが《リヴォルケイン》だった。

 彼を出会ってから必死で努力したかいあってかある程度の実力を身につけることができた。

「知っているか? 去年《リヴォルケイン》の六団長になった最年少の男の事」

「ああ。若干13歳で王立治安騎士団の最高峰に立った天才って街中話題だっただろ」

 去年、六団長の一人が病死し、新たな六団長を決める天覧武会が開かれた。

 参加者は《リヴォルケイン》隊員の中から選ばれた何名か。

《リヴォルケイン》屈指の実力者の中から勝ち上がったのが若干13歳の男。

「お前はいなかったが俺はその試合を見に行っていた。それは凄まじい強さだったよ。

 到底敵う相手じゃない。そいつが王の前でこう言ったんだ。

『この世界の平和を守ってみせる』ってな」

 アルヴェリアスは笑った。その笑みは深く俺の心に刻み込まれる。

「俺もそいつと一緒に平和を守っていきたいと思えたよ。

 その男が天才と呼ばれるなら、それはその歳で供えている知能や実力じゃない。

 人にそう思わせる資質だと思う。俺は、どうすればいいかを考えてきた。

 そして《リヴォルケイン》に至ったんだ」

「アルヴェリアス……。俺も平和を守るよ。君と共に」

「ああ」





 俺達は《リヴォルケイン》に入隊し、日々の雑事に追われていった。

 主に市街の警備から盗賊団の掃討。そして『秘密任務』

 それは今まで生きてきた中では最も生き生きとできた時期だった。

 自分の存在価値を見出せなかった少年時代から比べると今は何もない。

 自分がツヴァルツァンド家の人間だと言うのは隠していた。

 その名を聞いてもこの隊にいる皆は気にするような人達ではない事は理解できていたが、

 やはりどこか躊躇いがある。

 俺はレイ・スティングとしてなんとか3年かけて、中級騎士までの地位を手に入れた。

 そこで、あの事件が起こった。

 



 その日は雨だった。

 何日かぶりの雨だったからか、視界がほとんどないほど降っている。

 そんな時に緊急の収集がかかった。

「侵入者?」

 何人かの隊員が揃って声を上げた。

 目の前には《リヴォルケイン》六団長ライ・オーギュドがいる。

 金髪碧眼で、強面の顔は威圧感を充分に出している。

「侵入者の名は<クレスタ>。稀代の暗殺者だ。何が目的化は分からんがすでに警備の兵が何人か殺られている」

 隊員達の間に動揺が走るのを俺は肌で感じた。

 その名はつい最近巷を騒がせている狂人の名だったからだ。

「なんとしても王都から奴を逃がすな! 捕縛か、できない場合は殺せ!」

 いつになく物騒な事を言ってくる隊長の緊張は皆分かっていた。

 自分の身を第一に考えなければほぼ死ぬのだ。

 皆が号令と共に指令所から出ていく。

 その最中、アルヴェリアスが俺の近くに寄ってきた。

「レイ。今回の敵はかなりやばいみたいだな」

「そうだな。どれだけ強いか知らないが、はっきりいって俺達雑兵が勝てるとは思えない」

 俺達の会話は周りの隊員に聞こえていたはずだが特に反応はない。

 皆目の前の危機に意識を集中させていた。

「もしな、俺が殺されたら……」

「そんな縁起の悪い事を言うなよ」

「聞け! 俺が殺されたら、誓ってくれないか?」

「……何をだ?」

 アルヴェリアスの口調にただならぬ物を感じて俺は潔く聞いた。

「『誓い』を守ってくれ」

「……分かった」

 俺の答えにアルヴェリアスは満足げに頷くと、俺から離れていった。

 俺はその背中を見て悪寒が走る。

 何故かはその時、分からなかった。

 それはこの事件が終わった後に分かる事になる。



 ―――これがアルヴェリアスとの最後の会話になった―――





(もうレイともさよなら、か)

 アルヴェリアスはレイと別れてからしばらく歩みを進めていた。

 彼の脳裏に映るのはこれからの自分の姿。

 血にまみれて、絶命している自分の姿。

 彼は『未来を視る』事ができる。

 どうしてそんな能力があったのかは分からない。

 生まれついてからの力。

 未来においてそれらの能力を持つ者を指す言葉は生まれるが、この時点ではまだ知られてはいない。

 彼はその能力ゆえに苦しんできた。

 幼い時から楽しい事、辛い事、悲しい事全てが彼の意志に関係なく視える。

 それは不幸な事以外のなにものでもなかった。

 いつか読んだ古い書物に書かれた文章。

 この世の全ての不幸が詰まった禁断の箱の中にある、最後にして最悪の不幸。

 即ち、『未来を見通してしまう』事。

 これから起こる全ての事を視てしまう事で、アルヴェリアスは生きる気力を無くしていた。

 そんな時に、彼はレイに会ったのだ。

 レイを見た時にアルヴェリアスは一目で分かった。彼は生きる意志が欠落していると。

 その時までの彼と同じ目をしていたから。

 そして、アルヴェリアスには視えたのだ。

 自分の未来の中で、彼の姿が隣にある事を。

(本当に救われたのは俺だ。レイがいた事で、俺は生きる意味を見つける事ができた)

 レイを『救う』事ができた時、初めて自分の力を好きになる事ができた。

 力がなければきっとレイを救えはしなかっただろう。

 だからこそ、その時点で彼は生きる意味を見つけていたのだ。

(だから、もう悔いはない―――)

 思考が止まる。

 目の前には血を流して倒れている数人の死体。

 そしてその先に見えるのは一人の暗殺者。

「悔いは……ないはずなんだがな」

 アルヴェリアスは剣を抜いた。降りしきる雨が抜き身の剣を叩いていく。

「やはり、最後まで抗わせてもらう」

 暗殺者が凄まじいスピードで近づいてくる。アルヴェリアスはその場にしっかりと足をついて身構えた。

(レイ――)

 鈍い金属音が、雨音の中に消えていった――――





 レイがその場所の扉を開けた時、すぐにその姿が飛び込んできた。

 アルヴェリアスの死体は見るも無残な姿だった。

 体中がなます切りにされていて、血がほとんど残っていない。

 レイはその場にただ、立っていた。

 何時間経っていたかは分からない。

 頭が考える事を停止していた。

 認めたくなかった。

 自分の唯一無二の親友がいなくなったいう事実を。

 それはとても恐ろしい事だった。

 自分を今まで支えてきた根本の物に亀裂が入ってしまったからだ。

「……」

 レイはふと気付いてアルヴェリアスの手を見た。

 右手にしっかりと剣が握られている。

 アルヴェリアス特製の剣。

 中に特別製の鋼線を入れ、刀身を幾つも別れさせて相手に攻撃できるという剣

「『スレイブ・ソーサー』……」

 レイはぼそりと呟いた。

 意識もせずに手を伸ばし、その剣を握る。

 すると死後硬直で固まっていたはずの掌がすんなりと離れた。

「アルヴェリアス……。俺に闘えって、言ってるのか?」

 レイは物言わぬ死体に問い掛けた。

 確かに言葉は出なかった。

 しかし《何か》が、レイの中に伝わった。

「……俺はまだ、生きる意味を見つけてはいない。お前が出来なかった分、やってやる」

 レイは剣を強く握り締めた。

 そして歩き出す。

 一言、言葉を残して。

「あばよ、親友」





 彼は知る事はない。

 親友が既に生きる意味を見つけていた事を。

 自分と同じように、親友もまた救われていた事に。

 しかし彼は親友の分まで、生きる意味を見つける事を誓った。

 親友との『誓い』のために。

 親友の残した物と共に。





 それから数年後、彼はその親友との『誓い』と共に世界の運命を決める戦いに赴く事になる。

 

 しかし、それはまた別の話――――――







『誓い――Friend――』 完